レンタル選手の現在地#7
毎シーズン、多くの若手選手がレンタル移籍で所属元クラブを離れ、将来の開花を見据えて研鑽を積んでいる。レンタル先のクラブのファンはもちろん、レンタル元クラブのファンにとっても動向が気になる未来のスター候補の現状にスポットライトを当てる。
小川航基が隣にいたから
イサカ・ゼインにインタビューしたのは“微妙”な時期だった。横浜FCは開幕から13試合負けなしとロケットスタートを切っていた。だが、5月に入ったあたりから勢いに陰りが出始めた。
第14節でロアッソ熊本、第15節でブラウブリッツ秋田に敗れ2連敗。第17節では優勝争いをしているアルビレックス新潟に0-3の完敗を喫して、ずっと守っていた首位の座も明け渡していた。
チームの状況は良いとは言えない。もしかしたら前向きな言葉は出てこないかもしれない――。そんなインタビュアーの予想は見事に裏切られた。
「幸せです」
イサカ・ゼインは楽しんでいた。良い時も悪い時も、その結果に自分が関われることに。
「僕、プロになってからずっと試合に出られていなかったので。毎週毎週、試合に向けて準備をして、修正しながらやっていく。この作業はすごくやりがいがあって」
桐蔭横浜大学から加入した川崎フロンターレでは、2年間でリーグ戦の出場試合数はわずか“1”。2年連続でJ1王者になったものの、イサカ・ゼインはほとんどの試合をスタンドから眺めるしかなかった。
「フロンターレでは勝った経験をさせてもらっていたというか。自分がチームに貢献できているとは思えなかった。だから、今はサッカー選手としては幸せです」
ガーナ人の父親と日本人の母親の間に生まれた。憧れの選手はクリスティアーノ・ロナウド。町田市出身で、地元の名門クラブ・町田JFCでは突破力に優れたサイドアタッカーとして早くから将来を期待された。
桐光学園高校の同級生には横浜FCでもチームメイトになった小川航基がいる。小川がキャプテン、イサカが副キャプテンだった最高学年では全国高校サッカー選手権大会でベスト16になった。
「すぐ近くで小川を見ていたのは大きかったと思います。こういう選手がプロになるんだというのを具体的にイメージできたので。小川がいなかったら、プロになれていなかったかもしれない」
高校卒業後、小川はジュビロ磐田に加入。イサカはJクラブに練習参加はしたものの正式オファーには至らず、桐蔭横浜大学に進学することになった。「4年間やってプロになろう」という強い決意とともに。
「高校の時は小川の一枚看板のチームになってしまっていた。高校選手権でベスト16で負けた時に、自分がもっとうまくなっていて、2枚看板になっていれば勝てたんじゃないかって思ったんです」
フロンターレ・ショック
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Profile
北 健一郎
1982年7月6日生まれ。北海道旭川市出身。『ストライカーDX』編集部を経て2009年からフリーランスに。サッカー・フットサルを中心としてマルチに活動する。主な著書に『なぜボランチはムダなパスを出すのか』『サッカーはミスが9割』。これまでに執筆・構成を担当した本は40冊以上、累計部数は70万部を超える。サッカーW杯は2010年の南アフリカ大会から3大会連続取材中。2020年に新たなスポーツメディア『WHITE BOARD』を立ち上げる。