湘南ベルマーレでプロのキャリアをスタートさせ、初年度から活躍を示し、年代別日本代表にも常に名を連ねた。その後移籍した鹿島アントラーズでは出場もままならず、主軸の1人と目された東京オリンピックもメンバー入りはならなかったが、昨夏より再び身を置く古巣では、地に足ついたプレーとともに確かな存在感を放っている。思うように結果を残せなかった常勝軍団での時は何をもたらし、その視線はどこへ向いているのか。今年24歳を迎える杉岡大暉のいまを探った。
外に出て確かめたかったこと
――杉岡選手は2017年に湘南ベルマーレでプロデビューし、3年間実績を積んだのち、2020年に鹿島アントラーズへ移籍しました。この時の移籍の決断についてあらためて聞かせてください。
「自分のイメージとしては、湘南に入り、そこからステップアップしていきたいと思っていた部分は正直ありました。特に(移籍前年の)2019年はチームとして向上していた時期で、自分の中でも手応えがあった。ただ、シーズン終盤にケガをしてしまい、最後のJ1参入プレーオフ決定戦に途中交代で少し出た程度だったので、鹿島から話をもらった時は自信があったわけではなかった。それよりも、確かめに行くという感覚の方が強かったように思います」
――確かめに行く、とは?
「それまで東京オリンピックの年代別代表に呼ばれ、Jリーグでも少しやれているかなと感じる一方で、自分の力を外に出て確かめたいという想いと、もう1つ成長しなければいけないという想いで移籍しました。加えて、鹿島は数多くのタイトルを獲得しているビッグクラブですし、憧れもあったので、チャレンジしたいなと思いました」
――2020年は本来、東京オリンピックが開催される年でした。そのシーズンに環境を変えることは、試合に出られるかどうかも含めてリスクを伴うと思います。移籍に際してそういう怖さはありませんでしたか?
「そうですね……。僕は性格的にあまりリスクを冒して行動するタイプではないし、そういう移籍をしている人を見たらすごいなって思うタイプなので、いま考えたらよく行ったなと思いますね(笑)。たぶん東京オリンピックがすべてだと思っていたら、自分の性格的にも湘南に残っていたと思います。でも、(試合に出られないかもしれないという)最悪の状況も考えて移籍したので、オリンピックに出ることよりも、自分の手応えを鹿島で確かなものにしたい、何か行動しなければいけないという想いが勝っていたのだと思います」
――年代別代表に入り続け、東京オリンピックも当然出場するものだと周りからは思われていたと思いますが、ご自身としては必ずしもそうではなかった?
「いや、でも最悪の状況を想定してはいましたけど、あそこまで試合に出られないとは思っていなかったというのも正直なところです。2020年は1月にU-23の代表活動(AFC U-23選手権タイ2020)があって、キャンプ後にチームに合流したんですよね。同じ左SBには、一緒に入った永戸勝也選手や(山本)脩斗さんなどメンバーがたくさんいて、僕はプレシーズンマッチにも出られないような状況でした。ただ、いい選手ならたとえどんなスタートでも練習から違いを作って認められるはず。そこから這い上がる実力が僕にはなかったと思っています」
――気持ちは折れませんでしたか?
「いやあ……。周りのレベルも高かったですし、シーズン序盤に肉離れをして、新型コロナによるリーグの中断もあって。ただ、練習は真面目にやっていました。それだけは言えますけど、でも、きつかったですね」
見つからない「自分の強み」
――何が自分に足りていなかったと思いますか?……
Profile
隈元 大吾
湘南ベルマーレを中心に取材、執筆。サッカー専門誌や一般誌、Web媒体等に寄稿するほか、クラブのオフィシャルハンドブックやマッチデイプログラム、企画等に携わる。著書に『監督・曺貴裁の指導論~選手を伸ばす30のエピソード』(産業能率大学出版部)など。