偽9番、偽SB、偽CB、偽GK……。最近、「偽〇〇」という呼称が頻繁に使われるようになった。ポジショナルプレーの登場によってポジションの機能と役割が変化し、従来のボキャブラリーでは表現できなくなってきているのだ。「偽〇〇」は、なぜ増えてきているのか? そして、その背景にある総MF化とポジショナルプレーの関連性について考えてみたい。
※『フットボリスタ第90号』より掲載
偽9番の元祖は1940年代に「ラ・マキナ」と呼ばれたリーベルプレートのアドルフォ・ペデルネーラと言われている。もともとインサイドフォワード(今日で言えばインサイドハーフ)だったペデルネーラは技巧派で、味方へスペースを提供してラストパスや組み立てで活躍した。
「偽」がいるなら「本物」もいるわけで、本物の9番と言えばイングランドのハンマー型が典型だった。最前線に張り続け、主にクロスボールをヘディングで叩いて得点を量産するタイプだ。ペデルネーラより前の1930年代のオーストリア代表のCFマティアス・シンデラーも偽のタイプに近かったようなので、中央ヨーロッパなどでは偽系の系譜もあったのだろうが、フットボール先進国だったイングランドの9番が本物のイメージとして定着していた。
リーベルでペデルネーラからポジションを奪ったアルフレッド・ディ・ステファノは偽9番の最高峰である。守備からゲームメイク、得点までフィールドの縦軸を完全に支配するプレースタイルでレアル・マドリーの黄金時代を築いた。ほぼ同時代にはハンガリー代表のナンドール・ヒデグチが偽9番として有名だった。ヒデグチもオリジナルポジションはインサイドフォワードだったが、所属するMTKのCFが負傷したので代役を務めたところうまくいったので代表でも転用されたという経緯である。
偽9番の歴史。「人ありき」から「機能」へ
現代の偽9番は、かつての偽9番とは成立の過程が明らかに異なっている。
たまたま本物の9番がチームにいなかった、9番に万能性があった、そういう理由で偽9番になっているのではなく、最初から戦術的な狙いがあってのことなのだ。
偽9番が戦術的に確立されたのは、おそらく「ドリームチーム」と呼ばれたヨハン・クライフ監督下のバルセロナだろう。それ以前にもエレニオ・エレーラ監督のインテルや、アヤックスやオランダ代表でクライフ自身が偽9番として機能していた例はあるが、役割と機能性が明確化され、いわば偽9番というポジションができ上がったのが80年代の終わりである。
機能性なので人はそれほど選ばない。バルセロナの偽9番としてはミカエル・ラウドルップが思い浮かぶけれども、ホセ・マリア・バケーロなど他の選手も起用されている。さらに顕著なのが、偽9番を機能させるために相手DFラインのピン止め役となったウイングだ。フリスト・ストイチコフやアイトール・ベギリスタインはともかく、本来DFのミゲル・アンヘル・ナダルが右ウイングに置かれた試合もあり、単にその場所に人がいる必要性で起用されるケースすらあった。
ウイングが高い位置に張ることで相手のラインを固定し、CFが下がってDFライン手前の数的優位を確保する。相手CBがマークに出てくれば、それによって生じるスペースをターゲットに攻め込む。このメカニズムは今日でも変わっていない。
マンチェスター・シティでは偽9番が試合によって異なっていたぐらいで、ほぼ全アタッカーが偽9番を経験している。資質的にはフィル・フォデンが偽9番らしい。シティからバルサに移籍したフェラン・トーレスも典型的な偽9番と言える。
つまり、偽9番というポジションがあらかじめ用意されていて、それに合ったタイプの選手を起用している。偶発的に偽9番が生まれたわけではない。それは偽SBなど、他の偽〇〇と呼ばれるケースも同様で、すでに偽〇〇は新たなポジションとして新たな役割を担っているわけだ。
もはや「サイド」でも「バック」でもない
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Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。