バルサを去った「早熟の天才」デウロフェウ。28歳、セリエAでの復活劇
カンテラで眩い輝きを放っていたジェラール・デウロフェウは、いつしか「忘れられた存在」となりかかっていた。ドリブル一本槍のプレースタイル、たび重なるケガなどで放浪のキャリアを送っていた元天才は、21-22シーズンのセリエA・ウディネーゼで28歳にして覚醒を果たした。苦難の道のりの裏にはどんなストーリーがあったのだろうか?
「一番いい時はこれからやって来ると確信している。なぜなら、今やっとサッカーとは何かがわかり始めたところだから。ストライカーとしてピッチの中央でプレーして、そこで何が起こっているか、何をすべきかが理解できるんだ。理解していれば結果がやって来るし、チームにとって大きな助けになる」
今シーズン、セリエAのウディネーゼでキャリアハイを更新する13得点5アシストを挙げ、ナポリへの移籍も噂に上っているジェラール・デウロフェウのコメントである。
イタリアの『DAZN』は試合中継やハイライトに加えて、選手や監督を主役にしたシリーズもののオリジナルコンテンツを制作・配信している。その1つが「My Skills」と題された、選手が自身のプレーやテクニックについてピッチ上でそれを実際に演じながら語るシリーズ。これに出演したデウロフェウは、1対1突破、シュート、FKといったプレーを技術的な解説を加えながら演じて見せたのだが、興味深かったのはむしろその合間に差し込まれたインタビューだった。
ラ・マシア産「失われたタレント」の代表格
デウロフェウといえば、バルセロナのカンテラで育ち、2012年のU-19欧州選手権MVPをはじめ育成各年代のスペイン代表で見せた驚異的な活躍から、ラ・マシアがメッシ以降に生み出した最高のタレントとまで謳われた早熟の天才ドリブラーとしての顔が、今なお記憶に新しい。スペインU-19やバルセロナB時代の映像は今見てもなお圧倒的で、周りの選手とは異次元の存在だったことがわかる。
しかし、それだけ傑出した才能を持ちながらも、バルセロナでトップチーム定着を果たせず流浪のキャリアを送る中で、ボールを持てばどんな時でもドリブル突破を仕掛けるだけで他の選択肢をまったく持たない「単機能ドリブラー」というイメージが定着してきていたことも確か。ボージャン・クルキッチ(現ヴィッセル神戸)と並ぶ、ラ・マシアがメッシ以降に生み出した「失われたタレント」の代表格というのも、彼が持つもう1つの顔になりつつあった。
例えば、バルセロナ在住の工藤拓さんは今から5年前の2017年、『Number Web』で彼についてこんなことを書いている。以下引用する。
「オフザボールの動きや守備意識は皆無。唯一の武器であるキレとスピードに任せたドリブル突破も、右サイドで縦に抜け出すスペースがあるという条件下でなければ発揮できない。なおかつ、その能力を発揮できた場合もボールを持ちすぎてチャンスを潰してしまうことが多々ある。
本当に、こいつはラ・マシアでフットボールを教わってきたのか。
馬鹿の一つ覚えのようにボールをこねくり回す姿を目の当たりにするたび、何度首をひねったことか。つまるところ、彼のプレーからはインテリジェンスと言える要素が全く感じられないのだ」
18歳だった12-13シーズン、当時セグンダ(2部)だったバルセロナBで、[4-3-3]のウイングであるにもかかわらず33試合で18得点5アシストという数字を叩き出した時には、ラ・マシアからまた次代を担うべきタレントが誕生した、と囃されたものだった。「クリスティアーノ・ロナウドのカタルーニャ版」というような言われ方をしていたのを覚えている。
にもかかわらずバルセロナは続く13-14、ルイス・エンリケ率いるトップチームへの登録を見送りエバートンにレンタルに出すという決断を下す。ただこれに対しては、ジェラール・ピケやセスク・ファブレガスの前例を踏まえて、プレミアリーグという異なる環境で経験を積むことを通してプレーの幅を広げる狙いから、という報じられ方もあった。
しかしそのエバートンでレギュラーに定着できず、続く14-15にレンタルされたセビージャでも鳴かず飛ばずなのを見たバルセロナは、2015年夏にわずか600万ユーロという安値(2年以内に1200万ユーロでの買い戻しオプションつき)でエバートンへと保有権を売り渡してしまう。
バルセロナ側から見れば、21歳の時点ですでにその成長性に見切りをつけた格好だが、一方のエバートンにしてみれば、もしかすると化けるかもしれない「元天才児」が600万ユーロという格安な値段で手に入るなら悪くない投資だと考えたのかもしれない。
この15-16には、ロベルト・マルティネス(現ベルギー代表監督)の下で2得点9アシストというそれなりの数字を残すが、監督がクロード・ピュエルに代わった翌16-17は良くて途中出場、悪い時はベンチからも外れるという状況に陥り、冬の移籍ウィンドウでセリエAのミランにレンタルされる。
そのミランでは、シーズン後半の17試合で4得点3アシストとそこそこの結果。ただ筆者の記憶に残る限り、そのプレースタイルは相も変わらずドリブル一本槍、1人抜いた後の選択肢もまたドリブルで、前方にスペースがなくなると仕方なくクロス、という、半径5mの世界しか見えていない(見ようとしていない)ようなそれだった。
上で引用した工藤さんの酷評は、この翌シーズン(17-18)、買い戻しオプション行使によって5年ぶりに復帰したバルセロナでプレーしていた当時のもの。実際、それから間もなく冬の移籍ウインドウでプレミアリーグのワトフォードにレンタルされ、翌夏には完全移籍という形で、育ったバルセロナに決定的な別れを告げることになる。
ワトフォードでの小さな変化。ウイングからFWへ
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Profile
片野 道郎
1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。