ミヒャエル・スキッベ監督が来日して1カ月半で、サンフレッチェ広島は大きく姿を変えようとしている。「縦に速く」の要素は薄まりながらも、1対1で「ボールに向かって守備をする」コンセプトは変わらない。ドイツの名将はチームという生き物の状態を見て、日々のトレーニングで着実に成長へと導いている。J1リーグ第7節・広島対横浜FM戦の不思議なスタッツには、変化の兆しが明確に表れている。
不思議な現象が、明確な数字となった。
ボールを持ち続けたチームが、試合を通して自陣に貼りつけられていた。ほとんど前進できず、相手陣内に入れない。サッカーの常識からは考えられない現象を目の当たりにして、それでも「印象論に過ぎない」と思っていた。だが、数字は明確だった。
ボール支配率39%。しかし、シュート数では圧倒
試合後、DAZNの画面で表された数字は、横浜F・マリノスのボール支配率が61%、そしてプレーエリアは横浜FMのディフェンシブ・サードで51%。印象は、明確に事実として証明された。しかも、シュート数は広島19本対横浜FM4本、枠内シュートは広島11本に対して、横浜FMは2本だけ。プレーエリアに話を戻せば、横浜FMのアタッキングサードでのプレーはわずか13%に過ぎない。横浜FMは次の鹿島戦では3-0と圧勝、DAZN集計で24本のシュートを放ち、アタッキングサードでのプレーも33%。堅守・FC東京相手にも14本のシュートを打って2-1で勝利し、アタッキングサードで28%のプレーを行った横浜FMが、広島戦ではまったく前に進めなかったのだ。
どうして、そういう現象が起きたのか。
サッカーはボールゲームであり、ボールを持っているチームが主導権を握る。当然のことだ。だがこの試合、横浜FMはボールを握りながらも主導権は広島に握られていた。紫のチームが今季から取り組んでいる「ボールに向かって守備をする」方向性の前に、パスは前ではなく横、さらに後ろにパスを下げざるを得なかった。
横浜FMのクオリティであれば、プレスをかわして、はがして、ボールを前に運ぶことは難しいことではない。実際、開始10分くらいまでは、そういう展開だった。これをやられると、普通であればプレス強度は弱くなる。行けば行くほどにかわされ、裏を取られ、危険にさらされるからだ。
だが、広島のプレスは時間が経過しても、ゆるむことはなかった。シャドーの森島司と満田誠がスイッチを入れ、永井龍がアンカーを見ることが1つの約束事としてはあったが、他の選手たちも目の前にいるトリコロールの戦士たちをしっかりと監視し、距離をあけない。
守備の基本コンセプトは「1対1の決戦」
広島のやり方は、大袈裟ではなくピッチのいたるところで「1対1」の決戦を挑んでいるようなものだ。10分、右ウイングの宮市亮がフリーになった時、柏好文が脱兎のごとく戻ってきてカバーするなど、危ないとなれば助けに行くが、基本線は「1対1に勝て」「目の前の相手に勝て」。それが広島の守り方だ。だから相手が3トップだからといって、後ろに4枚を残すやり方はしない。数的同数、上等なのである。
守備をするといっても、柔道でいうところの「自護体」のような腰を引く姿勢ではない。ボールに向かっての守備だから、常に前がかりで、相手に立ち向かう姿勢を崩さない。来るなら来いと言わんばかりに、前へ前へと足を出す。最近行われたボクシングのビッグマッチ=村田諒太対ゴロフキン戦は最近では珍しいインファイター同士の激しい撃ち合いとなったが、広島の守備もまさに相手にインファイトを挑むようなもの。横浜FMがアウトファイトを狙ってボールを動かしても、しつこく諦めずにマッチアップを求める。
ただの「ハイプレス」ではないのだ。そこには「闘う」意識が全面に出て、少しでも緩めると果敢にボールを奪いにくる。かわして置いていっても、プレスバックも鋭い。14分、激しいスプリントで森島司がエドゥアルドを追い、パスを出した先のエウベルには藤井智也が来て、さらに小池裕太に対しては野上結貴が身体をぶつけてボールを奪い切った。そこから一気のカウンターで、藤井が横浜FM陣内に深く入り込む。こういうプレーを繰り返されると、横浜FMとしても簡単にはボールを運べない。……
Profile
中野 和也
1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。