4月9日、フットボール界の生き字引として、歯に衣着せぬ発言でファンを楽しませてきたニール・ウォーノックが監督業からの引退を発表した。
御年73歳の指揮官は、1979年に30歳で現役生活に別れを告げると翌年から指導者の道を歩み始め、監督キャリア42年間で16クラブを率いた。昨年11月にイングランド2部のミドルズブラの監督を退任するまで、イングランドのプロサッカー界で歴代最多となる通算1603試合も監督を務めた。
栄光と悔恨のキャリア
単にキャリアが長かったわけではない。2006年にシェフィールド・ユナイテッドをプレミアリーグ昇格に導くと、2011年にはQPRを、そして2018年にはカーディフを同じくプレミアリーグに引き上げてみせた。下部リーグを含めて通算8度の昇格はイングランドフットボール界の記録となっている。だが、そんな輝かしい栄光の陰で、悔しい思いも経験した。
2007年、当時ウェストハムに所属していた元アルゼンチン代表FWカルロス・テベスがプレミアリーグ最終節にチームを残留に導く決勝点を決めたが、実は同選手の契約は不当なものだった。ウェストハムが不当な選手のおかげで残留を手繰り寄せる中、降格の憂き目にあったのはウォーノックが率いるシェフィールド・ユナイテッドだった。
もっと辛い思いもあった。カーディフを率いていた2019年には、フランスのナントから獲得した選手が飛行機事故で帰らぬ人となり「監督業40年間で最も辛い1週間」と下を向き、「フットボールよりも重要なことがある。それを改めて思い知らされた。1日中、監督を辞めようと考えていた」と弱音を吐きながらも「だが、私には仕事がある。こういう時こそ、私がリーダーシップを発揮しないといけないんだ」と前を向いた。
後悔したこともある。シェフィールド・ユナイテッドが2部にいた頃、クラブのスカウトから“ある選手”の補強を進言された。フランス2部のストライカーで10万ポンド(約1500万円)の移籍金が必要だと説明を受けたウォーノックは「10万ポンドだって? フランス2部の選手にしては大金だ。それは払えない」と断ったという。その選手というのが、後にチェルシーでUEFAチャンピオンズリーグを制することになるディディエ・ドログバだったという。
情熱は決して失われない
こうやって振り返ると、本当に様々なことがあった監督キャリアだ。まだもう少し続けることもできそうだが、ウォーノックは引退を決意した。「その時が来たのだと思う。もうすぐシーズンが終わるし、それまでに仕事の話は来ないと思うからね。これまで本当に楽しんだよ」と英国放送局『Sky Sports』に語った。
無論、熱血漢で知られるウォーノックの“フットボール愛”が冷めたわけではない。昨年8月には副審のオフサイドの判定に激怒して試合後に審判に詰め寄った。その件についてラジオ番組に出演した際には、親交のある司会者に対して冗談を飛ばしてみせた。「(審判に何を言ったか聞かれて)君は私をクビにさせたいんだろ! サッカー協会の連中も番組を聞いているはずだ。彼らはいつも『ウォーノックが番組でこう話していた』と言って罰金処分を科してくるんだ。なのに君は1円も肩代わりしてくれないね!」
カーディフ時代の2019年にも審判の判定に怒りを露わにし、審判団の代表を「ロボット」呼ばわりして「審判の質が下がっている」と指摘。その件について、やはりラジオ番組で「昨日、家に帰ったら妻に言われたんだ。『もしあなたが主審や副審を殴りたかったなら、私は止めなかったわ』とね。それほど不公平だったのさ」と、ウォーノック節をさく裂させた。そして、この発言が罰金処分の対象になりかねないと知ると「妻を給料1週間分の罰金処分に科すよ! あれは妻が言ったことだしね。でも、カーディフの大半のファンは、私の妻と同じ気分だったと思うがね」と冗談を飛ばした。
だから彼の情熱は決して尽きることがない。引退を発表した今回も「熱意が冷めたわけではないし、まったく失われていない」と断言した。「でも、友人が病気になるのを目の当たりにして、そろそろ家族との時間を大事にすべき時だと思ったのさ。特に妻のシャロンとの時間をね」と引退の理由を明かした。
こうしてイングランドフットボール界のご意見番は、波乱万丈の監督人生にピリオドを打ったのだ。
Photo: Getty Images
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。