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ウルグアイとバルベルデの変貌。W杯“大逆転”出場を実現させたアロンソのアイディア、タバレスのレガシー

2022.03.29

ブラジル、アルゼンチンが早々に抜け出し、残る「2.5枠」を5カ国が狙う展開となった2022年W杯南米予選(10カ国・全18節)。その大混戦を制し、3月24日の第17節でエクアドルとともにカタール行きの切符をつかんだのが、ウルグアイだ。昨年11月の第14節終了時点では4連敗で7位に転落し、15年以上も代表チームの総指揮を担ってきたオスカル・タバレス監督が解任。しかしそこから3連勝とV字回復を遂げ、4大会連続のW杯出場を達成できた背景には何があったのか?

マエストロからトルナードへ

 「我われにとって“親善試合”はない。いかなる試合でも勝つために、死ぬ気で戦う」

 ウルグアイ代表をW杯に導いた直後の会見でディエゴ・アロンソ監督は、消化試合となる予選最終節のチリ戦(3月29日)が「新しい戦力をテストする親善試合のようなものになるか」と問われると、瞳を大きく見開き、力強い口調でそう言い放った。

 アロンソには“トルナード”(竜巻)の愛称がある。現役時代、ウルグアイのベジャ・ビスタでプレーしていた頃、監督を務めていたフリオ・リーバスから「お前はピッチの中の竜巻になれ」と言われたことがきっかけだ。

 得点を狙いながらも相手を執拗にマークして守備陣を痛めつける竜巻と化し、ウルグアイ1部リーグのトップスコアラーになったアロンソは、それからおよそ四半世紀後、今度は監督として母国の代表チームで大旋風を巻き起こした。7位まで後退していたウルグアイ代表の指揮を引き受けるや、約3カ月後には3戦3勝の戦績でチームを4位に引き上げ、チリ戦を残した時点でダイレクトにW杯出場を決めたのである。ウルグアイ代表にとっては、予選で3連勝を遂げたことも、最終節を待たずに本大会出場権を獲得したことも、過去に例のない歴史的快挙だ。

ペルー戦後の闘将アロンソ。昨年12月中旬に監督就任が発表された46歳の元ウルグアイ代表FWは、2011年の引退直後から指導者に転身し、19年12月〜21年1月にはベッカムが共同オーナーのMLS(アメリカ)新規参入クラブ、インテル・マイアミで初代監督を務めていた

 第13節のアルゼンチン戦(0-1)、第14節のボリビア戦(3-0)で連敗し、大陸間プレーオフ出場圏内の5位から7位に転落した昨年11月、AUF(ウルグアイサッカー協会)関係者はチーム内の著しい士気低下を危惧していた。各ラインにトップクラスの選手をそろえながらも勝利への確信がまったく感じられず、グループ全体が負の力の前に屈していたようだった。人々は「カタールが遠のいた」と悲哀感に苛まれ、普段は建設的な意見を寄せるメディアでさえ「このままではW杯出場など夢でしかない」と一刀両断。予選4試合を残した時点で、それまで15年間にわたりウルグアイ代表の総指揮を担ってきた“マエストロ”ことオスカル・タバレス監督が解任されるほど深刻な状況に陥っていた。

2006年2月13日に自身2度目のウルグアイ代表監督に就任し、昨年11月19日まで長期政権を築いてきた現在75歳のタバレス

 だが、マエストロの後任に抜擢されたアロンソは、そんなネガティブな空気を一掃してみせる。自身を「根っからの楽観主義者」と称し、敬愛するルイス・アラゴネスの教えである「サッカーとは勝って、勝って、また勝つもの」に傾倒する指導者として、冒頭の言葉にも滲み出る勝利への貪欲さをもってチームを奮い立たせた。

 そして、ウルグアイ代表監督として正式に就任してからわずか3週間後の今年1月27日、第15節のパラグアイ戦で0-1の勝利を収め、続く第16節のベネズエラ戦では4-1と快勝し、3月24日にはペルーを1-0で下して予選通過を実現。長年にわたりウルグアイ代表を間近で取材してきた著名ジャーナリスト、フェデリコ・ブイサンが「マエストロの解任時には、まさかその後3試合で勝ち点9をもぎ取ってW杯出場を決めることになるなんて想像もできなかった」と吐露したほど、セレステ(ウルグアイ代表の愛称で「空色」の意)は驚くほどの変貌を遂げたのである。

ウルグアイ対ペルーのハイライト動画。42分に10番を背負うMFデ・アラスカエタ(フラメンゴ)が決勝点をマークした

意識、環境からコーチ、メンバーまで大転換

 ではアロンソは、短期間で代表チームに変化をもたらすため、具体的に何をしたのだろうか。

 結果が出てからの検証は俗にいう「月曜日の新聞」でしかなく、目標達成後にそれらの変化が成功に繋がったと評価することは公平ではないかもしれない。だが、何かが大きく変わったことは事実であり、その要因としていくつかのキーポイントを挙げることは可能だ。……

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ウルグアイ代表カタールW杯

Profile

Chizuru de Garcia

1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。

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