選手として、コーチとして、経営者として……橋本英郎が見据える未来像
2022シーズン、橋本英郎が選んだ新天地は関西サッカーリーグ所属のおこしやす京都ACだった。立場は選手兼ヘッドコーチ。初挑戦となるこの両立をどのように捉えているのか。そして、指導者としてのキャリアをスタートさせる上で影響を受けている人物とは。経営者としても活動する多忙な橋本に今後のビジョンについて話を聞いた。
目標がある中でサッカーが出来る
――まずは今季、選手兼ヘッドコーチ加入した、関西1部リーグのおこしやす京都についてうかがいます。初となる選手とコーチの両立はいかがですか?
「今はまだ、難しい部分が多いですね。プレーヤーとして、今まではその中で(チームメイトに)伝えるっていうことをしていたんですけど、ここでは(コーチとして)練習メニューを考えたりしている部分もあるので。練習が始まる前に伝えないといけない部分があったり、(練習を)やっている中でも現象がうまく行かなかった時は、ちょっと止めて修正しないといけないこともあったり。その辺りは、まだ少し四苦八苦していますね」
――選手兼ヘッドコーチ、というオファーを受けた経緯は?
「兼任のオファーを出した理由は、コーチ陣のバランスを取る、というところもあると思います。僕を選手としても取りたい、と思ってもらった中で、コーチ兼任という部分でマッチしたっていうところじゃないかなと。僕は(J3今治などで)単身赴任が続いていたこともあり、関西圏でプレーしたいという希望があって。その中で、兼任というのは新しいチャレンジだなと。社会人リーグになってしまうので、ちょっと不安なところもありました。でもその中で自分がモチベーションを保って1年間戦うために、コーチという役職もある事で、切れにくいと言うか、やる事がいっぱいあるので、チャレンジしがいがあると思いました。自分の成長にもつながるんじゃないかなと」
――まずは練習前に、監督など他スタッフとメニューの相談をして、そこから選手としての準備を行うのでしょうか?
「できる限りそれを避けようということで、事前に翌日の練習メニューの共有は、練習後の時間に行います。練習が始まったらいち選手として参加しつつ、練習をサポートしています。ただ怪我をしていた期間もあったので、その時はコーチの方を中心に動くような感じですね」
――ちなみに元ガーナ代表でもあるムスタファ監督(昨季までコーチ、今季より監督に昇格)とは、どのようにコミュニケーションを取っているのですか?
「そこは英語ですけど、僕自身がそんなに喋れないので、通訳を介して話をしている形になりますね」
――J1や日本代表でも活躍し、J2、J3、JFLでもプレーした橋本選手が、社会人リーグでも現役にこだわる理由はどこにあるのでしょう?
「まずはサッカーを教えるのとやるのでは、やるのが好きだということ。あとは、やるからには何か目的、目標がある状態でやりたい。カテゴリーはあんまり関係なく、今回社会人リーグでもJFL昇格という目標がある。目標がある中でサッカーが出来る、というのは、自分の中でやり続ける要素の一つでしたね。(15年に当時J2の)セレッソに行ったタイミングからなんですけど、そこから昇格を目指すクラブでプレーが続いています。(16年途中には)半年間、(当時J3の)長野パルセイロに行ったことで、関西から出ることもあまり気にせずに行くようにもなりました。地方都市で、地域密着で頑張っているクラブがあることも実感しました。長野は外国人選手のような感じで補強されて加わって、結果出さないといけないというのを経験して。昇格というひとつの方向を、みんなが目指してやっているのがよかった。選手として、人間として、得るものが大きいなと考えています。クラブ内でも、うちは昇格が無いから、これぐらいしか無理なんだよ、という発想にならない。昇格のため、自分には何ができるかとか、そういう行動を取ることが多くなるので」
――プレーヤーにこだわる一方で、ピッチ外ではオンラインサロンや、サッカー雑誌での執筆活動などでも活躍されています。セカンドキャリアへの移行も視野に入れていらっしゃるようにも見えますが、そのバランスはいかがですか?
「今はね……ちょっとうまくバランスがとれていないなっていう感覚はあります。会社の方が忙しくなりすぎちゃって。株式会社泰賀という会社を(社長として)やっていて。サッカースクール運営や、ジュニアユースのチーム、あとは放課後デイサービスや、発達障害の支援事業を行っています。そのバランスを、もうちょっと取らないといけないなというのが、いま直近の一番の課題で。もう少し、選手兼コーチというところに、時間軸や頭の中の割合をしっかり持っていけるんじゃないかなっていう感覚もありますね」
――現在は選手、コーチ、経営者はどういった割合ですか?
「本当は選手6、コーチ2、経営者2、ぐらいにしたいんですけど。今は難しいところで、選手が2、コーチ4、経営者4ぐらいの感覚ですね。すみません、また電話かかって来ちゃいました(取材中にも何度も仕事関連の電話が)。バランスをちょっと取らないといけないかな、と、悩みながらちょっと過ごしているような感じですね」
――経営者としても多忙な中でも、オファーがある間は選手として現役にこだわりたい思いが強いのですか?
「まず今年、結果としてJFLにあげることができるかどうか、というところかなと思っています。環境が整っているJ1などのクラブと違って、今はスタッフの数も少なく、クラブ内でもひとりが何役もこなしています。やることが増えてくると、本来自分がやらないといけないことがおろそかになったり、バランスをどう取るかと考えているところに、自分の会社の仕事もあって、みたいな。ちょっとこんがらがっちゃっています。シーズンが始まれば、試合という目の前のゴールが結構シンプルになるので、一週間のサイクルが回りやすくなると思うんです。プレシーズンは選手でしか経験してなかったので、今回コーチとしては初めてなので」
西野朗、オシム……影響を受けた監督
――指導者としては、G大阪時代の西野朗監督や、日本代表でのオシム監督ら、数多くの名将の下でプレーされています。影響は受けていますか?……
Profile
金川 誉(スポーツ報知)
1981年、兵庫県加古川市出身。大阪教育大サッカー部では関西2部リーグでプレー(主にベンチ)し、2005年に報知新聞大阪入社。野球担当などを経て、2011年からサッカー担当としてガンバ大阪を中心に取材。スクープ重視というスポーツ新聞のスタイルを貫きつつ、少しでもサッカーの魅力を発信できる取材、執筆を目指している。