ここ数年、オーストラリア人監督たちの国を越えた活躍が目立っている。なぜ、かの地から次々と優れた指導者たちが輩出されるのか。その理由に、かつてオーストラリアでプレーしその指導によって自身のサッカー観に大きな影響を受けたというドイツ人の元選手たちの“証言”から迫ってみよう。
セルティックに渡ったアンジェ・ポステコグルーをはじめ、オーストラリア出身の監督たちの能力の高さは日本のサッカーファンも実感しているところだろう。
そんなオーストラリアの指導について、ベルリン生まれでドイツ・ブンデスリーガを経てオーストラリアで長年プレーしたイェロメ・ポレンツが、自身の経験をもとに振り返っている。ポレンツは現在ヘルタ・ベルリンのU-23アシスタントコーチを務めながらドイツ国営放送で戦術解説をしており高い評価を得ているのだが、その戦術分析の進め方は選手時代にオーストラリアで学んだものだという。ポレンツの言葉から、その詳細を追っていきたい。
2010年代前半、戦術・分析分野でドイツよりもはるかに進んでいた
「パラドックスに聞こえるかもしれないが、オーストラリアでサッカーがどのように機能するのかを初めて学んだ。幸運にも、本当に素晴らしい監督の下でプレーできたからね」
ポレンツがこう語る監督とは、1997年から2001年にサンフレッチェ広島で活躍したトニー・ポポビッチだ。ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ時代にポポビッチの指導を受けたポレンツは、「ビデオ分析は信じられないほど優れていて、ディティールにまで最大限に注意を払っていた。ポポビッチの素晴らしいビデオセッションのおかげで、僕ら選手たちは突然、サッカーのゲーム全体についての“関係性”を把握することができた」と明かし、こう続ける。
「さまざまなフェーズで、チームという1つの集団としてスペースをよりうまく見つけられるようになった。トレーニングはテーマに応じてあらかめ1週間分のプランが組み立てられており、それを1回のセッションごとに細かく分け、継続的に繋がるようになっていた。こういった仕事の進め方を知ると(トレーニングに)どのようなメリットがあって、短期間でもさらに成長できるということを実感するようになる。それまでの自分は、ただ直感的にプレーしていただけだったんだ」
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Profile
鈴木 達朗
宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。