オランダリーグで断トツの最下位だったPECズウォレが年明けから急上昇し、ついに最下位脱出を果たした。ゲーゲンプレッシングの使い手、ディック・スフローダーが途中就任し、サッカーの内容も明らかに改善している。それに伴い、左SBからリベロにポジションを移した中山雄太の評価も急上昇中。中田徹氏にズウォレの逆襲劇をレポートしてもらおう。
2022年に入ってから“驚異の最下位”として他チームを震え上がらせているPECズウォレが、3月6日のフォルトゥナ戦を0-1で競り勝ち、今季初めてテールエンドを脱出して16位に浮上した。
シーズン後半戦(第18節以降)のPECズウォレは4勝2分2敗で勝ち点14を記録。これは18チーム中6位という好成績だ。得点10、失点8というスタッツから、ほとんどの試合で1点差の競り合いを演じていることがわかるだろう。折り返し前の17試合で勝ち点6、得点9失点31という貧攻・拙守は今や過去の話になった。
スフローダー監督就任がターニングポイント
ズウォレにとってターニングポイントとなったのが、11月21日のフェイエノールト戦から、ディック・スフローダーが指揮を執り始めたこと。それまでの12試合、ズウォレは[4-3-3]フォーメーションを基軸に、ゲームをコントロールする試合運びを目指していたが、ストライカー、右SB不在などチーム編成の失敗が仇となって、勝ち点4のダントツ最下位だった。
スフローダーがズウォレと契約したのは、フェイエノールト戦のわずか3日前のこと。中山雄太にとっては日本代表の一員としてベトナム、オマーンとのアウェイゲームを終えてオランダに戻ってきたら、指揮官が変わっていたということになる。
51歳のスフローダーにとってズウォレは初めて自ら采配を振るプロチームになる。その背景にはKNVB(オランダサッカー協会)とのサッカー感が合わず、S級ライセンスの取得が遅れたことがあったようだ。しかしながらフィラデルフィア(アメリカ)、ホッフェンハイム(ドイツ)、フィテッセのアシスタントコーチ時代の指導力、トップアマチュアクラブであるカットワイクを率いた際の手腕は高く評価されている。ズウォレは名より実を取ってスフローダーにチーム再建を託した。
スフローダーに大きな影響を及ぼしたのが、弟アルフレッド・スフローダー(現クラブ・ブルッヘ監督)の右腕として働いたホッフェンハイム時代のこと。この時期にゲーゲンプレッシングに感化され、さらにフィテッセでドイツ人指揮官のトーマス・レッチュの下でプレッシング戦術に磨きをかけた。
スフローダーがズウォレに持ち込んだのが、まさにゲーゲンプレッシングだった。初陣のフェイエノールト戦はぶっつけ本番ということもあって、選手を[3-5-2]フォーメーションに並べただけで、キックオフから35分の間に4点を奪われ4-0の完敗を喫した。その後しばらく、前半は相手と互角以上の戦いを見せるも、後半に入ってからガス切れし、勝利に恵まれない試合が続いた。
中山雄太が感じていた「勝てない中の手応え」
しかし、ズウォレのサッカーの質が向上していたのは、紛れもなく明らかなこと。シーズン当初の左SBから、リベロにコンバートされた中山は12月11日のフォルトゥナ戦を0-1で落とした後も「別に悲観する内容でもなかった。最下位にいますけれど、ノーチャンスの試合運びではなく、明らかに良くなっている」と前向きに語っていた。
「僕は(スフローダー)監督のサッカーが面白いなと思っていて、手応えを感じているんです。ディテールがまだ合ってないだけで……。それがなぜかと言うと、何が良くて、何が悪いか整理できてないのでチームとしてやることが共有できてない。結果が出てないから、みんなネガティブになっちゃうんですけれど、だからこそ、なにが良くて悪いのかというのをハッキリしていれば、そんなの考える必要がなくなって『これ、よくしよう』『これ、トライしよう』となると思うんですよ」(12月11日のフォルトゥナ戦後の中山)……
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中田 徹
メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。