ネイマール、チッチ、サンパイオ……少年を心の傷から救うブラジル代表
11月10日、南米予選コロンビア戦を翌日に控え、ブラジル代表チッチ監督とアシスタントコーチのセーザル・サンパイオ(元ブラジル代表、横浜フリューゲルス、柏レイソル、サンフレッチェ広島でもプレー)の記者会見が行われた。その際、サンパイオが感情を抑えきれずに声を詰まらせ、涙を流す場面があった。
一部サポーターの心ない振る舞い
三度の手術を乗り越えて代表復帰したフィリペ・コウチーニョ(バルセロナ)と、クラブで重傷を負って代表を辞退したルーカス・ベリッシモ(ベンフィカ)について、気持ちの部分に寄り添ったコメントをした後のことだ。
サンパイオは、スポーツの人間的な側面に触れたその機会を生かして、ブルニーニョという少年に愛情を送りたいと語り始めたのだった。
ブルニーニョは、スタジアムでサントスを応援するのが大好きな9歳の男の子だ。11月7日のブラジル全国選手権パルメイラス戦も、いつものように父とホームスタジアムで観戦していた。特にその日はサントスのU-9チームの入団テストに合格したばかりで、サッカー選手になる夢への第一歩を踏み出したところだった。
試合が終わった時、ブルニーニョはスタンドからパルメイラスのGKジャイウソンに「ユニフォームが欲しい」と声をかけた。ジャイウソンはスタンドに駆け寄って少年の願いに応じた。
周囲のサントスサポーターたちは、ライバルチームの小さなサポーターに対するジャイウソンの優しい振る舞いに拍手していた。しかし、一部のサポーターがブルニーニョに罵声を浴びせ始めたのだ。
彼らは、ブルニーニョからユニフォームを取り上げようとし、あるいは唾を吐きかけようとしたという。息子を守る父を見て「あの父親を捕まえろ!」と怒鳴りもしたそうだ。
サントスは今季、不調にあえいでいる。その日も0-1で敗れ、恐らくイライラをぶつけたのであろう彼らのその行為は、少年を恐怖に陥れた。
ブルニーニョはこれまでも、対戦相手の選手からユニフォームをもらったことが何度かあるという。サントスを応援しているとは言え、サッカーが大好きな子供なのだ。目の前で良いプレーをした選手に憧れるのは当然だ。それがこんな暴力に遭い、「死ぬかと思ってすごく怖かった」と証言している。
選手たちが一斉にエール
事件の後、ブルニーニョは自身のインスタグラムにメッセージビデオを投稿した。
「ジャイウソンのユニフォームをもらったことで気分を害した人がいるならごめんなさい。僕はジャイウソンが大好きなんだ。だけど、僕はパルメイラスサポーターじゃない。サントスサポーターだ。サントスが苦しい時も、いつでもサントスとともにいる」
そして、もらったユニフォームを返そうと思っている、とも言った。試合に行って、殴られたりしないように――。
これには、サントスやパルメイラスの選手をはじめ、ブラジル中の選手たちが一斉にエールを送り、「謝ることなんかない」と励ました。
元サントスのネイマール(パリ・サンジェルマン)もその1人だ。彼はインスタグラムを通じてこう語りかけた。
「ブルニーニョ、君は誰を好きになったっていいんだよ! どのチームを応援しているかなんて関係ないんだ。夢を大切に生きていけよ。少年に親愛を込めて」
そして同時に、こんなことで幼い子供に謝らせてしまう状況に対して「何て悲しいことだ。何て悲しいことだ」と繰り返した。
サンパイオがかけた言葉
そのブルニーニョに、サンパイオも記者会見の場でエールを送ろうとしたのだった。気持ちを落ち着かせたサンパイオは、自分自身、現役時代にサンパウロの4大クラブ(コリンチャンス、パルメイラス、サンパウロ、サントス)すべてでプレーし、すべてのユニフォームを誇りに思っていることを話した。
そして「スポーツは勝ったり負けたりすること以上に大きな価値のあるものだ。僕の両親は貧しくて仕事に忙しかったから、僕は多くの時間を路上で過ごしながら、スポーツによって育てられたようなものだ」と説明し、少年に語りかけた。
「自分のアイドルたちを愛する気持ちを、そしてスポーツを愛する気持ちを失わないでほしい」
チッチも「君をここに招待するよ。君はブラジル代表を応援しながらクラブも応援することだってできる。ブルニーニョ、我われの心から親愛を込めて」と、力強くハグのポーズをした。
そして、ブルニーニョは会見翌日のコロンビア戦をスタジアムで観戦し、その2日後にはブラジル代表の練習にやってきた。練習を間近で見た後は、チッチ、サンパイオをはじめとするスタッフ、それに選手たち全員から次々と声をかけられ、一緒に写真を撮ってもらった。
「愛情をありがとう。支えてもらってありがとう。あなたに神のご加護を」と、一人ひとりにきちんとお礼を言う彼に、選手たちは笑って頭をなでた。
ネイマールが与える大きな幸せ
そして、ネイマールが会いに来てくれた時だ。ブルニーニョは、その姿を見ただけで号泣し始めた。ネイマールに「僕にはハグしてくれないの?」と笑って声をかけられると、泣きながらしがみついた。
ネイマールが子供に与える幸せの大きさを、あらためて感じさせる場面だった。彼はブルニーニョのためにブラジルのユニフォームにサインをし、一緒に写真も撮ったが、何をするよりもしがみついていたいその少年を、ただ笑いながら抱きしめていた。
感動のあまり時間がかかったが、ブルニーニョの泣き顔は満面の笑みに変わった。その数日後、テレビのインタビューを受けて「サントスの試合はスタジアムでは見たくない。家で見たい」と語っていた彼は、まだ恐怖から抜け出していないようだ。
それでも「ネイマールやブラジル代表の選手たちと会えてすごくうれしかった。ネイマールは素晴らしい人なんだ。謙虚で、そして、ものすごいプレーができる」と振り返る時は、また明るい笑顔になった。
Photo: Lucas Figueiredo/CBF, CBFTV
Profile
藤原 清美
2001年、リオデジャネイロに拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特にサッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のTV・執筆等で成果を発表している。W杯6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTube『Planeta Kiyomi』も運営中。