クロアチア劇場、W杯予選は大団円!モドリッチとダリッチの冒険は終わらない
W杯欧州予選グループH、最終節を控えた段階でロシアが勝ち点22で首位、クロアチアは同20で2位。最終節はクロアチアのホームで両者の直接対決という「真のファイナル」(ロブレン)になった。勝てば天国、負ければ地獄。決戦の舞台ポリュウド・スタジアムでは、3万3000枚のチケットが完売。両国の命運を懸けた一戦の行方を、長束恭行氏にレポートしてもらおう。
クロアチア代表監督のズラトコ・ダリッチが著したロシアW杯回想録『我われの夢のロシア』にはこんな一節がある。
「W杯後には『ロシア』という単語が異なる音色に聴こえ、心に響くようになっている。今の私にとってロシアはクロアチアに次ぐ世界最高の国だ。今後も語り継がれる歴史的偉業をあの国で成し遂げたのだからね」
代表監督1年目でクロアチアをW杯準優勝に導き、一時は国家的英雄として崇められたダリッチだが、「(人口と同じ)400万人の代表監督がいる」としばしば言われるように、クロアチアは“うるさ型”のサッカーファンが多い国だ。ロシアでの成功体験に縛られたダリッチ監督は夢うつつのままに代表チームを率い、外からの意見には耳を貸そうとしなかった。EURO2020の直後は「グループステージ突破の目標は達成したし、スペイン相手に素晴らしい試合をした」と自らの仕事を肯定したが、采配批判の集中砲火を浴び、チーム内部で不協和音が起きたことは精神的に堪えたようだ。
カタールW杯まで契約を残す彼は、進行中のW杯予選に向けて大きく舵を切った。
インスタグラムで監督批判をしたFWアンテ・レビッチを追放し、ロシアW杯の準優勝メンバーに対する優遇も取りやめた。「クラブで調子の良い選手を使う」という名目を実質にすることで、チーム内の序列に変化が現れたのだ。
モドリッチ依存からの脱却、そして世代交代へ
ただし、唯一の特例がルカ・モドリッチ。監督とキャプテンは一蓮托生の関係で、カタールW杯を最後の晴れ舞台として一緒に去ることを両者間で取り決めているという。代表チームにおけるモドリッチの依存度や酷使ぶりにはマドリーファンから悲鳴が上がっているが、ダリッチ監督がよく口にする「本人がやりたがっている」というセリフもあながち嘘ではない。誕生日(9月9日)が代表スケジュールと重なるたびに「家族一緒で祝えない」と妻から苦言を呈されようと、彼は国の誇りを懸けて戦う代表チームを人一倍愛している。15年間で一緒にプレーしたチームメイトは114人を数え、ロシアW杯で夢のような日々を過ごした仲間もすでに半分が去ったが、内なる炎がモドリッチから消えることもなければ、プレーの衰えを感じさせることもない。
とはいえ、モドリッチも今年で36歳。マドリーの練習中に右足内転筋を痛めたことで、9月の代表ウィークはキャプテン抜きの戦いを強いられた。第4節のロシア戦(アウェイ)をスコアレスドローに終えると、モドリッチからの電話を受けたMFマテオ・コバチッチは「君たちはもっとやれたはずだ」と咎められた。第5節のスロバキア戦(アウェイ)はダリッチ監督が試した前線の組み合わせがまったく機能せず。代表デビューとなるGKイビツァ・イブシッチのスーパーセーブで危機を逃れ、85分にMFマルセロ・ブロゾビッチが値千金のミドルシュートを決めて1-0の辛勝。ダリッチ監督はチームが苦しんだ最大の要因を劣悪なピッチ状態とし、「今の我われにはモドリッチが欠けている」と恨めしそうに語った。
モドリッチ抜きの3連戦を締めくくったのが、第二の都市スプリトのポリュウド・スタジアムで迎えた第6節のスロベニア戦。ユーゴスラビア時代から「サッカーではスロベニアに負けない」と自負していたが、今年3月の開幕戦では初敗北を喫している。また、1997年のW杯予選ではスプリトでスロベニアと3-3のドローを演じ、以降はポリュウド・スタジアムで代表公式戦が14年間も開催されずにいた。国内随一の熱狂的な土地柄にもかかわらず、2011年のジョージア戦まで親善試合を含めて一度も代表チームが勝利できなかったことで、「呪われたスタジアム」として敬遠された会場でもある。
ダリッチ監督はハイデュク・スプリトのエース、FWマルコ・リバヤを1トップ起用して難局の打開を図った。戦術練習は一度もせず、リバヤ本人も「もう5~6年は1トップをやっていないし、今のハイデュクで僕がやるポジションでもない」と前日会見で本音をこぼしたものの、33分にそのリバヤが先制ゴール。さらにMFマリオ・パシャリッチ、MFニコラ・ブラシッチといったハイデュクOBがゴールを挙げたことでチームの士気は一気に高まった(結果は3-0)。これまでモドリッチに甘えがちだったコバチッチが責任感あふれるプレーを披露し、チームで居場所を探し続けていたパシャリッチはトップ下で輝いた。ダリッチ監督は試合後会見でこんなメッセージを発信した。
「これは不在だったキャプテンのための勝利だ。ルカ、10月は君を待っている。我われを先へと導いてくれ」
Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。