カタールW杯欧州予選のイタリアvsスイス戦が行われた11月12日、前イタリア代表監督のジャンピエロ・ベントゥーラ氏が指導者業からの完全引退を発表した。
屈辱から4年後の引退宣言
2017年11月13日、ロシアW杯欧州予選プレーオフのスウェーデン戦に敗れ、イタリアは60年ぶりにW杯出場を逃した。その後、ベントゥーラ氏は2018年10月にキエーボの監督としてシーズン途中に就任したものの、4戦して1分3敗という成績に終わり、クラブとの話し合いの末に契約を解除。2019-20シーズンには当時セリエBのサレルニターナの監督に就任して1シーズンを戦ったが、チームはプレーオフ進出に勝ち点2及ばず10位でフィニッシュ。シーズン後に辞任をした後にはどこのクラブとも契約を結ばず、休業状態となっていた。
そして、ロシアW杯予選敗退が決定してから4年後に、サッカー指導者としてこれ以上、活動をしないことを宣言。
情報サイト『トゥットメルカートウェブ』に対し「もうやめることにした。ピッチの上で起こることにもう向き合いたくはない。カルチョの世界で37年間やり通し、たくさんの満足も覚えたし、いくらかネガティブな時も過ごしたので、自分の人生を取り戻す権利があると思っている。歳は取っていく。これからは自分の人生を謳歌したい」と語り、ロベルト・マンチーニ監督に対しては「W杯に進出し、そして優勝できるよう、健闘を心から祈る」とエールを送った。
ファンやメディアは戸惑いを見せる
ただ、この突然の引退発表に対し、ファンやメディアは戸惑いと冷淡な反応を示した。ネット上では「イタリアのW杯出場をかけた一戦が行われるこの日をなぜわざわざ選んで発表するのか」という声の他、ジョルジーニョのPK失敗で1-1のドローで終わり、W杯出場決定が持ち越しとなったスイス戦の試合結果を受けて「わざわざマンチーニの健闘を祈っておいてこの結果となったのは偶然か?」などと“呪い”の存在を疑うようなコメントもあった。
一方で同じ日、イタリアの著名スポーツジャーナリストだったジャンピエロ・ガレアッツィ氏が死去。翌11月13日の新聞各紙では、同氏の逝去を伝える報道の方が大きかった。
ベントゥーラ氏はプロビンチャでの実績が豊富で、1996年から就任したレッチェではわずか2シーズンでセリエAに昇格させた他、カリアリもセリエAに押し上げ、バーリでクラブ記録となる勝ち点50を記録した他、トリノをUEFAヨーロッパリーグにも進出させた。
しかし2016年から就任したイタリア代表監督では、戦術上の不備や選手との溝なども指摘された後に予選敗退。イタリアが後任のマンチーニの下でEURO2020優勝など輝かしい復活を遂げた後、寂しく指導の現場から退くこととなった。
Photo: Getty Images
Profile
神尾 光臣
1973年福岡県生まれ。2003年からイタリアはジェノバでカルチョの取材を始めたが、2011年、長友のインテル電撃移籍をきっかけに突如“上京”を決意。現在はミラノ近郊のサロンノに在住し、シチリアの海と太陽を時々懐かしみつつ、取材・執筆に勤しむ。