サンテティエンヌ売却をめぐり、カンボジアの王子が訴えられる?
現在、売却先を物色中のサンテティエンヌに、カンボジアの王子を相手取った裁判騒ぎが起きている。
サンテティエンヌはフランスリーグで過去最多の優勝回数(10回)を誇る、国内でも根強い人気を誇るクラブ。クラブカラーの緑がトレードマークだ。
1980年代にはフランスの英雄ミシェル・プラティニが、2008-09シーズンには元日本代表の松井大輔が所属していた。
そのプラティニがキャプテンを務めた1980-81シーズンを最後に優勝はないが、直近では2018-19シーズンに4位に入るなど、「ヨーロッパカップ出場権争いに絡む5位前後のクラブ」というのが彼らの位置付けだった。
しかし2019-20シーズンは17位、昨季は11位と順位表の下半分に落ち込み、現在はここまでわずか1勝で19位と、降格圏に低迷している。
2016-17シーズンを最後に、それまで9年間チームを率いたクリストフ・ゴルティエ監督がクラブを去ったことは、やはり基盤が崩れる要因になったと思う。加えて、これまで20年近くクラブの実権を握ってきた共同オーナーのベルナール・カイアッソとロラン・ロメイエールが3年前に売却の意思を公表したことも、組織全体の弱体化を後押ししている感じだ。
その3年前には、アメリカの投資会社『Peak6』への買収決定まであと一歩、と報じられたのだが、結局実現しなかった。
そして今年4月、オーナーはあらためて監査法人に売却先の選考を依頼したことを発表。そこで名乗りを上げた中の1人が、カンボジアの元国王ノロドム・シハヌークの孫で、ノロドム・シハモニ現国王の甥であるノロドム・ラビチャク氏だった。
「私にとって大切なクラブ」
カンボジアは19世紀にフランスの植民地であったことから、両国間、とりわけ王族とは古くから縁があった。現在47歳のラビチャク氏も、幼少時に家族とともにフランスに亡命している。その後カンボジアへの帰国が叶ったが、現在もパリを拠点に会社を運営するなど、カンボジアとフランスを行き来する生活をしている。
この買収交渉の中でほとんど表に出ていないラビチャク氏であるが、一度ラジオのインタビューでこう語っている。
「私はフランスリーグ、そしてもちろんフランス代表に熱狂して育った。だからこそ、フランスの偉大なクラブの中でも特別な位置を占めるASSE(サンテティエンヌ)には特別な思い入れがある」
彼がサッカーに熱中していた少年時代はまさに、プラティニがキャプテンとしてチームを率いていたサンテティエンヌの黄金期だ。
「(フランスクラブのオーナーになることは)ずっと夢見ていたことだが、私にとって非常に大切なクラブでそのチャンスが訪れた。だから、私は全力でそれをつかみ取ろうと思った」
そして、こうも語っている。
「私は経済的な目的で参入するのではない。長期的に投資し、ASSEを大切にしたい。もし同意していただければ、野望を実現するための十分な手段を提供し、サンテティエンヌが輝きを取り戻すよう尽力するつもりだ」
資金証明の書類に偽造の疑い
王子の資産は2億5000万ユーロと報じられている。パリ・サンジェルマンがネイマールを獲得した時の移籍金が約2億2000万ユーロだったことを考えるとそれほど多くはない印象だが、王子はPSGのナセール・アル・ケライフィ会長とも縁のあるカタール人ビジネスマンと共同で会社を経営しているから、中東マネーという財源も見込めるのかもしれない。
「ASSEを前面に押し出して、アジアにフランスサッカーの人気を広めたい」という彼の言葉も、フランスリーグの注目度を世界的に上げたいLFP(フランスプロサッカーリーグ)にとって魅力的だったことだろう。
それが、なぜ裁判沙汰に発展したのか。
サンテティエンヌ側の訴えによると、ラビチャク氏側が提出した、彼がとある国際銀行に有しているという資金を証明する書類が偽造であったという。
クラブが委託した監査会社『KPMG』は、スポークスマンのPR会社を通じて「偽造、偽造品の使用、詐欺未遂の罪でパリの検察官に告発することを決議した」と声明を発表している。ここでの偽造品とは、王子側が提出したとされる1億ユーロの資金を保証する書類についてだ。
この資金の存在を証明することで、買収を希望する側は正式に名乗りを上げたことになり、クラブの経営状況といった機密情報を見ることができる、通称「データルーム」にアクセスする権利を得る。その書類が偽造されたものだというのだ。
しかしラビチャク氏もすかさずカウンターに転じ、「自分に対する非難に対して驚いている」と代理人を通じて表明した。
ラビチャク氏側は、ASSEとの交渉はすでに何週間も前から膠着状態にあり、そのためそもそもデータルームにもアクセスしておらず、ゆえに問題とされている文書自体、クラブ購入のための財政的な保証という意味を持たないものだと主張している。そして、買収交渉を進める過程においてのクラブ側の不安定さを糾弾している。
ラビチャク氏の反論は「自分に対して申し立てられた苦情に対し、あらゆる適切な法的措置を取る権利を有している」と結んでいるが、王族メンバーが虚偽の資金情報で告発されたというのは、世界的にも相当イメージが悪いから、それも当然であろう。
“前例”があるゆえに……
しかしクラブ側は、「こちらにはラビチャク氏の代理人が虚偽の書類を提出したことを証明する書類がある」と応戦している。
単なる行き違いか、何かの工作があったのか?
ラビチャク氏側も正当な弁護士を通して事を進めていたのだろうから、本来であれば資金をごまかす書類を提出したというのは考えにくいが、フランスには“前例”があるゆえに「ひょっとしたらあり得るかも……」という空気が漂っている。
その“前例”とは、2007年のマルセイユ買収事件だ。
この時は、シリア出身でカナダ国籍のビジネスマン、ジャック・カシュカーなる人物が買収に名乗りを上げ、正式決定もしないうちからロッカールームに出入りして、勝ち試合の後は選手と祝杯をあげるなど、すっかりオーナー気取りだった。ところが一転、彼の資産には実態がなかったことが発覚し、買収交渉はもちろん白紙。カシュカー氏は有罪判決を受けている。
彼が今どうしているのか調べてみたら、2019年にも別の詐欺罪をやらかして、今度は30年の懲役処分を受けたらしい。懲りない輩である。
彼とラビチャク王子を一緒に語るのは申し訳ないが、いずれにしても「カンボジアの王子がサンテティエンヌのオーナーになる」というファンタジーな話は消滅ということになるのだろうか。
現時点で、他に3者が買収に名乗りを挙げているらしいから、今季中には交渉がまとまりそうだが、サンテティエンヌは3年前にも『Peak6』とも法的論争を繰り広げている。
その時は結局裁判にはならなかったが、今回はどう決着するか。
Photos: Getty Images
Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。