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サウジ代表監督、ルナールとは何者か? アフリカで大成するフランス人監督の系譜

2021.10.07

かつて日本代表を率いたフィリップ・トルシエはブルキナファソ代表をアフリカ・ネーションズカップ(CAN)ベスト4に導き、「白い呪術師」と称えられた。以降もアフリカで大成するフランス人監督の系譜は脈々と受け継がれている。W杯予選で日本と対戦するサウジアラビア代表を率いるエルベ・ルナールは、異なる国で2度CANを制した名将だ。彼のユニークなキャリアをフランス在住ライターの小川由紀子氏に紹介してもらおう。

 2019年7月からサウジアラビア代表監督を務めるフランス人監督、エルベ・ルナールは、日本がW杯に初出場した1998年のフランス大会でキャンプを張った、アルプス山麓の温泉保養地エクスレバンの出身だ。現役時代はDFで、当時2部リーグにいたASカンヌでプロデビュー。ASカンヌといえば、ジネディーヌ・ジダンを輩出したクラブだ。カンヌでは、駆け出しだったジダンや、ルイス・フェルナンデスとも共闘している。

 しかし選手としては大成することなく、その後アマチュアクラブへ移籍すると、現役最後にプレーしていたドラギニャンで、30歳で指導者のキャリアをスタートした。

「メンター」クロード・ルロワがアフリカに導く

 その彼にアフリカへの扉を開いたのは、1988年のアフリカ・ネーションズカップ(CAN)でカメルーンに優勝をもたらしたフランス人監督のクロード・ルロワだ。今年4月にトーゴの監督を辞任するまで、アジアとアフリカの計9カ国で代表監督を務めた彼こそが、ルナールの「メンター(助言者)」だと言える。ルロワは、知人から紹介されたルナールを気に入って自身のアシスタントに採用すると、2008年のCANでは、ガーナ代表とともに準優勝を果たした。

ルナールの恩師クロード・ルロワ

 そして、ちょうどそのタイミングで代表監督を探していたザンビアサッカー協会に、ルロワがルナールを推薦したことが、世界的に彼の名を広めるきっかけとなった。

 ルロワの信頼に報いるかのように、2010年のCANでザンビアを8強に導くと、2度目の任期となった2012年大会で、同国に初の優勝をもたらしたのだった。

 「ナショナルチームを率いることに情熱を感じる。CANこそが夢の舞台」と語るルナールは、2015年大会でもコートジボワールをアフリカの頂点に導き、2012年、15年、18年の3度、アフリカ大陸の最優秀監督に選ばれている。

アフリカ屈指の強豪国として知られながらも、1992年を最後に大陸王座から離れ続けていたコートジボワールに2015年、ルナールは待望のCAN優勝をもたらしている

苦難の母国フランスでのキャリア

 一方、自国フランスではというと、話題にはのぼるものの実質的な評価という点では微妙で、代表監督の職がなかった時には3部所属のセミプロクラブからも門前払いを食らったことがあるほど。しかしリーグ1でも2度、采配を振った経験がある。……

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Profile

小川 由紀子

ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。

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