メッシの本領発揮、そして“MNM”トリオを機能させるキーマンになるのではないか。9月19日のフランス・リーグ1第6節リヨン戦(○2-1)で初めて彼らとともに先発でプレーした、パリ・サンジェルマン在籍7季目の33歳、アンヘル・ディ・マリアだ。2007年に19歳で地元のロサリオ・セントラルからベンフィカへと渡ったアタッカーはこれまで、アルゼンチン代表における最高の相棒メッシを筆頭に、レアル・マドリー(10-14)ではロナウド、マンチェスター・ユナイテッド(14-15)ではルーニー、PSGではイブラヒモビッチやネイマール、ムバッペといったスーパースターを支え続け、時にその“主役”たちを食う活躍を見せながら、輝かしいキャリアを過ごしてきた。今ではPSG歴代アシスト王(106)にも君臨するディ・マリアという名脇役について、あらためてどんな人物なのか、苦労を重ねた少年期からの人生物語をChizuru de Garciaさんに伝えてもらった。
「信じられないよ。1カ月の間に夢が2つも叶うなんてね」
アルゼンチンのサッカー番組『Fútbol 360』によるインタビューで、アンヘル・ディ・マリアはまるでクリスマスプレゼントをもらったばかりの子供のような口調でそう語った。「2つの夢」の1つは先のコパ・アメリカでの優勝、もう1つはリオネル・メッシと同じクラブでプレーすることを指している。
ディ・マリアはメッシを“エナーノ”(ちび)と、メッシはディ・マリアを“フィデ”(「細いパスタ」を意味するフィデオの略称)と互いに呼び合う。2008年の北京五輪で一緒に金メダルを勝ち取った後、長年続いたアルゼンチン代表における無冠の屈辱をともに味わいながら、ついに南米王者のタイトルをつかみ取った「フィデとエナーノ」は、今シーズンからパリ・サンジェルマンでチームメイトとなった。
彼は何度も「夢」という言葉を口にする
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Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。