奇跡のCL出場を果たしたシェリフ・ティラスポリの「おとぎ話」はまだ終わってはいなかった。グループステージ第1節で強豪シャフタールになんと2-0で勝利してしまったのだ。この「1勝」でUEFAからクラブ予算のおよそ半分に当たる280万ユーロのボーナスが支払われる。沿ドニエストルの謎クラブにかけられた魔法はまだ解けていない。
「マスターカード」が使用できない未承認国家のクラブがCL本戦へ
CLのオフィシャルスポンサーで真っ先に思い浮かべるのが「マスターカード」だ。彼らがUEFAとパートナーシップ契約を結んだ1994年からさかのぼること4年前、モルドバ共和国から「沿ドニエストル共和国」が独立宣言した。のちに駐留ロシア軍の力を借りてモルドバ政府軍に勝利したものの、いまだ未承認国家であるために「信頼の国際ブランド」というべきマスターカードは基本的に使用できない。もしシェリフ・ティラスポリの試合チケットをオンラインで買いたいのならば、同国経済を牛耳るシェリフ・ホールディング傘下のアグロプロム銀行に口座開設して電子決済するしかない。
昨今のCL中継の合間に流れるテレビCMでもとりわけ目立つのが「ガスプロム」だ。ロシアのサンクトペテルブルグに本社を置く世界最大のガス会社は、2012年からUEFAとパートナーシップ契約を結んでいる。ロシアの傀儡国家とも言うべき沿ドニエストルは、パイプラインでモルドバ方面に流れるガスプロム社の天然ガスを「中抜き」して電力を起こし、その電力をモルドバに輸出して莫大な収入を得る上、未承認国家という立場で天然ガス代もモルドバに押し付けている。さらには安価な電力を利用したビットコインのマイニング(採掘)を新たな国家事業にしているそうだ。
今シーズン、シェリフが沿ドニエストルから初めてCL本戦にコマを進めた。ただし、沿ドニエストルを国家承認しているのは世界を通してもアブハジアと南オセチア、アルツァフ(ナゴルノ・カラバフ)しかなく、そのいずれもが未承認国家だ。シェリフもモルドバリーグ王者として出場権を得ているので、やはり正確を期して「モルドバ初のCL本戦出場」と書かねばならないだろう。シェリフの試合中継でピッチ横のLED看板にマスターカードの広告が映り込み、ハーフタイム終了直後にガスプロム社のCMが流れると一種の「パラレルワールド」のような気分になってくる。いや、沿ドニエストルというパラレルワールドにCLという現実世界が入り込んだのかもしれない。旧ユーゴの2強、ツルベナ・ズベズダとディナモ・ザグレブを倒して「選ばれし32クラブ」になったシェリフに、今度は列強国のエリートクラブが襲いかかってくる。グループDで同居する相手はレアル・マドリー、インテル、そして第1節の相手となるシャフタール・ドネツクだ。
精神的支柱のルバノールがCL本戦前にチームを去る
前回の記事で「シェリフの当初のビジネスモデルはシャフタールを見習っていた」と書いた。シャフタールは複数年契約のブラジル人コロニーで強化を図ってきた一方、シェリフは短期契約の外国人傭兵を大量に雇っている。刺激の少ないモルドバリーグや退屈な沿ドニエストル生活に耐えられるハングリーさを備えた25歳前後に照準を改め、以前のようなブラジルや東欧諸国に限らず、コロンビアやアフリカの人材にも目を向けることで多国籍化を図ってきた。現在のトップチームの国籍は実に18カ国に及び、トレーニング中はあらゆる言語が飛び交う。母国オランダで解説者を務めるディルク・カイトが「シェリフ・ティラスポリのようなチームがCLでやることは何もない」と述べたことに対し、シェリフを率いるユーリー・ベルニドゥブ監督は皮肉を込めつつ、こう言い返した。
「カイトはサッカー選手としても人間としても尊重はするが、何でも口にしようとする前にまずはしっかりと自分の頭で考えるべきだ。個々のプレーやチームプレーに関する知識もなく、確かめもしないままに他を侮辱する必要はないはずだ。まあ、彼は全知全能なんだろうがね」……
Profile
長束 恭行
1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。