移籍を巡るムバッペとPSGの駆け引き。どのような決着を見るのか
今、フランスのサッカーメディアで話題沸騰中なのは、キリアン・ムバッペのレアル・マドリーへの移籍が実現するか否かだ。
その前は週末のニースvsマルセイユ戦で起きた暴動事件で賑わっていたのだが、8月24日(火)にRマドリーがパリ・サンジェルマンに1億6000万ユーロの正式オファーを出したというニュースが流れると、すぐさまその話題一色となった。
PSG側はこのオファーを一蹴した。「2億ユーロ以下では売らない」と強気の姿勢だと報じているメディアもある。
メッシ加入で移籍に加速か
ムバッペの契約は2022年6月、つまり今季終了後に満了となるが、彼は契約延長に合意していない。
そのことで、本拠地パルク・デ・プランスでは「クラブへの忠誠心が感じられない」とサポーターからブーイングを浴びているが、彼の心は「新天地で自分を試したい」という思いで固まっている。あとはクラブ幹部が首を縦に振るかだ。しかし、これがなかなか難しそうなのである。
8月11日のメッシの入団会見でムバッペの去就について聞かれたナセル・アル・ケライフィ会長は、「キリアンの将来は誰の目にも明らかだ。彼はパリジャン。キリアンは我われのプロジェクトの中心だ。彼は競争力のあるチームを望んでいるが、ここには最強に競争力のあるチームがある。これで彼は何も言い訳ができなくなった」と誇らしげに語った。
会長がメッシ獲得に成功して上機嫌だったのは、長年のアイドルを手に入れられたからだけでなく、ムバッペを繋ぎ止められる好条件がそろったことへの喜びでもあったのだ。
しかし、ムバッペは同じようには考えていない。メッシの到来は喜んだだろうが、「代わりのスター選手が来てくれて抜けやすくなった」と思っているような気さえする。
シーズンが開幕してからの3試合で1得点2アシストと、期待外れに終わった夏のEURO2020を払拭するかのような生き生きとしたパフォーマンスを見せているのも、新たなチャレンジに向かう喜びが彼を駆り立てているようだ。
14歳の特別な思い出
Rマドリーは、ムバッペが育成元であるモナコを巣立ってPSGに移籍した2017年夏からずっと獲得の意思を表し、ペレス会長らフロントはムバッペ本人や家族、関係者らと連絡を取り続けている。
しかしムバッペにとって、Rマドリーへの思いはもっとずっと前の、少年時代から抱き続けてきたものだ。
14歳の誕生日を迎える少し前、Rマドリーから彼の父親に「スポーツダイレクター(当時)のジネディーヌ・ジダンがキリアンに会いたいと言っている」と連絡が入った。
そして、14歳のバースデープレゼント代わりにマドリッドに連れて行ってもらうと、キリアン少年は夢か現実かがわからなくなるくらいの、人生最高の時を過ごすこととなった。
出迎えてくれたジダンの車に乗せてもらう時、あまりに素敵な車だったため「あの……靴は脱いだ方がいいでしょうか?」と尋ねてしまったというエピソードを、ムバッペは『The Players’ Tribune』に寄せたコラムの中で綴っている。
ジダンは破顔しながら「もちろん脱がなくて大丈夫だから、さあ乗って!」と優しい言葉をかけてくれたというが、「パリ郊外の、低所得者層が住むボンディという町で育った自分がジズーの車に乗るなんて、夢としか思えない体験だった」とムバッペは語っている。
その時から、Rマドリーは彼にとって特別なクラブだった。
パリ近郊出身の彼にとって、PSGは「地元の、心のクラブ」だが、「いつの日かここでプレーしたい!」と少年時代から夢に描いていたのは、Rマドリーだったのだ。
チャレンジしたいムバッペ
それからもう一つ、ムバッペには、あらゆるものに挑戦したいというチャレンジャー気質である。
過密すぎるスケジュールを理由に、結果的にはフランスサッカー連盟からOKが出なかったが、ムバッペはずっと前から「オリンピックでプレーしたい」という希望を語っていた。
サッカー界の頂点ともいえるワールドカップでは、2018年にすでに優勝しているが、オリンピックという特別な大会を、彼は何としてでも体験したかったのだ。
そんな彼が、いくら地元のクラブでも、生涯一クラブで終わることを良しとするわけがない。たとえメッシやネイマールがいて、UEFAチャンピオンズリーグ優勝を狙えるかもしれないクラブであってもだ。
ついでに言うなら、フランスリーグは世界トップレベルではない。
彼はいろいろな場所、もっとレベルの高い場所で自分を試してみたいのであって、エリート集団の一員になりたいわけではないのだ。
PSGファンにとっては残念かもしれないが、ムバッペが他のクラブ、他のリーグで戦う姿を見てみたいサッカーファンはきっと多いことだろう。
移籍市場での常套手段
Rマドリーの1億6000万ユーロのオファーについて、『レキップ』電子版が読者に向けて行った「PSGはムバッペをキープすべきか?」というアンケートでも、77%が「いいえ」と答えている(コメント欄を見ると「10か月後にはフリーになってしまう選手に1億6000万ユーロのオファーだなんて、断る理由がない」という金銭面での旨味を理由に挙げる声が多かったが)。
では逆に、なぜPSGはそこまでムバッペにこだわるのか。
それはアル・ケライフィ会長(&カタール勢)が、PSGがただ単にビッグネームを集めた銀河系集団ではなく、「パリのクラブである」ことを前面に押し出していて、パリ近郊出身の、フランス代表のスターであるムバッペは、選手としての能力だけでなく、象徴的な存在としても最適な人材であるからだ。
アル・ケライフィ会長は7月の『レキップ』紙とのインタビューで「キリアンは残る。それに、彼をフリーで手放すことはない」と断言していたが、ムバッペがこのまま契約延長に合意しなければ、オファーを受け入れるか、「契約を延長しないならプレーさせない」といった荒技でサインさせるしかない。
『レキップ』紙によれば、移籍市場が閉まる1週間前にアクション開始というのは、Rマドリーの常套手段なのだという。
同じ手法で、2012年にはルカ・モドリッチ、翌年にはギャレス・ベイルを、トッテナムから引き抜くことに成功している。
PSGのレオナルドSDは「これは我われから『ノー』を引き出し、『あらゆる手は尽くした。あと1年待ってほしい』と言わせるための戦略だ。彼らの行動は無礼で受け入れがたい。キリアンの契約終了の1年前、しかも市場が閉鎖する7日前にこんなオファーを出すなど違法だ。だいいちこのオファーは、キリアンの価値とはかけ離れている」とRマドリーに対して憤慨している。
金額についてだが、PSGがモナコからムバッペを獲得した時の金額は1億8000万ユーロだった。しかも、そのうちモナコへの3500万ユーロの支払いはまだ残っているから、PSGに入るのは、その金額を差し引いた額だ。世界王者にもなっている彼の価値が目減りするなど冗談じゃない、というところだろう。
そして「数カ月後にフリーとなる選手に対して1億6000万ユーロなら御の字、さもなくば(フリートランスファーで)0ユーロだ」と、Rマドリーが“足元を見ていること”に、嫌悪感を抱いている様子も垣間見える。
最後まで目が離せない
さらにレオナルドは「この夏のメルカートでクラブはキリアンを満足させるために尽力し、(メッシを連れてくるという)夢のようなチームを作り上げた。さあここから天下を獲るぞ、というポジティブな空気で盛り上がっているのに、それを壊すような行動は許さない」という厳しいメッセージをムバッペに対して発信している。
「選手が出たいのであれば出ていくことはできるが、我われにも条件がある。それはキリアンだけでなく、他のすべての選手にも言えることだ。我われはキリアンのために尽くしてきた。今回のメルカートもキリアンのためになされたことだ。彼が去るか留まるかは、我われの条件による。キリアンはプロジェクトの中心ではあるが、クラブよりも上の存在ではないのだから」
かと言って、出たいと渇望している選手を引き止めても、お互いにとって良いことはない、というのは過去に何度も我われが目にしてきたことだ。
PSGサポーターも「代わりにハーランドを連れてきて」などと、すでに「ポスト・ムバッペ」のPSGに切り替えている声も少なくない。
レオナルドによれば、ムバッペは「フリーでは出て行かない」とだけは約束しているという。
この夏の移籍はあるのか? はたまたムバッペが延長にサインするのか? 移籍市場の閉幕まで、スリリングな数日となりそうだ。
Photos: Getty Images
Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。