ビエリとサネッティ。一見対照的ながら実は“同じ”インテルのレジェンド
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数々のクラブを転々とし、行く先々で豪胆なプレーからネットを揺らしたクリスティアン・ビエリと、欧州ではインテル一筋を貫き、堅実かつ安定したパフォーマンスとメンタリティでチームの支柱となったハビエル・サネッティ。その足跡もポジションも両極端だが、その実共通する点もあったインテルの名手2人のキャリアをたどる。
荒野のガンマンのように
クリスティアン・ビエリは憧れの選手を聞かれて「アラン・ボーダー」と答えている。サッカーではなくてクリケットの選手だ。
サッカー選手だった父親がオーストラリアのチームへ移籍し、幼少期をオーストラリアで過ごした。インテルで活躍していた2003年のインタビューでは、「もし契約内容が同じなら、サッカーではなくクリケットをやりたい」と答えていたぐらい、クリケット好きなのはオーストラリアでの生活が影響している。
父親がプレーしていたマルコーニ・スタリオンズのジュニアチームでプレーしていたが、陸上競技や水泳もやっていたという。まもなく家族はイタリアへ戻り、ビエリは18歳でセリエC1のプラートでデビュー、1990年にトリノへ移籍する。トリノでセリエAデビューを果たすと、9シーズンの間に9つのクラブでプレーした。
その名が知れ渡ったのは1996-97シーズンのユベントスだが、ここにも1シーズンしか所属していない。翌シーズンにはスペインのアトレティコ・マドリーへ移籍している。
「スペインに行ったのは年俸がユベントスより高かったからだ」
プロなのだから、より条件のいい職場を選ぶのは当然なのだが、「金のため」とはっきり言ってしまう選手は珍しい。リーガでは24試合24ゴールでピチーチ(得点王)に輝いたが、「生ぬるい」と言い残してイタリアのラツィオへ。ラツィオではカップ・ウィナーズカップ優勝を果たし、やはりここも1年限りで移籍。次のインテルが9年で9つめのクラブだった。
インテルには6シーズン在籍。2シーズン同じクラブにいたことがないビエリにとっては例外である。リーグ戦143試合に出場して103ゴール、このインテル時代が全盛期といっていいだろう。その真っ只中に、条件が良ければクリケットをやりたいと言っていたのだから、やはりかなり変わっている。当時のビエリは気難しく、サポーターともしょっちゅう揉めごとを起こしていた。価値観が普通のサッカー選手とは少し違っていたのだ。インテルを退団してミランに移籍したのも、常識では考えられない禁断の移籍である。
最後のクラブになるアタランタとは、2008年に最低賃金の月給1500ユーロで契約して話題になった。基本給が格安な代わりに、1得点につき10万ユーロのオプションつき。全盛期のビエリならこれだけで250万ユーロぐらいの稼ぎになる。しかし、もうこの頃はとうにピークを越えていて年間2ゴールにとどまった。
そのキャリアをたどると、特定のクラブに何の執着もないことがよくわかる。できればクリケット選手になりたかったビエリにとって、サッカーは職業であり最も重要なのは契約なのだ。チームから求められるのは常にゴール。だから得点して稼ぎ、より条件の良いオファーがあれば迷いなく受け、そしてまたゴールして稼ぐ。凄腕のマグロ漁師か、さすらいのガンマンか。生き馬の目を抜くような世界を、たった1人で渡っていく覚悟とプライドがあふれているストライカーだった。
重戦車と呼ばれたパワーは図抜けていて、古典的CFの系譜と言える。ヘディングシュートの得点数はセリエA歴代トップだ。185㎝/84㎏の堂々たる体格、DFを弾き飛ばすような勢いとパワー、体の幅もあった。
ただ、ビエリはヘディングだけのFWではない。スピードも抜群で、カウンターアタックからのゴールは得意中の得意。速いのみならず強いので、走っている途中で当たられても強引に突破していけた。ファウルで止まっていたら、カウンターのエースにはなれない。
派手さはないが技術も確かだった。ポストプレーが上手で、背負った状態からパスと見せて反転しながらの突破もお手のもの。反転しながらビエリの右腕がDFの体の前に入ったが最後、もうDFはそこから前へは行けない。いくら押してもビエリの右腕はがっちりと食い込んだままで、押せば押すほどビエリが前に進むだけだった。
古典的CFと書いたが、現代でもこのタイプは依然として活躍している。ロメル・ルカクは最もビエリに近いタイプの、強くて速くて巧いストライカーだ。左利きも共通。ちなみにビエリは70年代のイタリア代表のエース、ルイジ・リーバともよく比較されていた。
彼らに共通するのは決断力だと思う。特にビエリは、「ここへシュートを決める」という決め打ち感が横溢していた。どんなプレーでもそうだが、特にシュートはどこへボールを送り込むかのイメージが明確でないと決まらない。あやふやな狙いや、自信と決意の乗り切っていないシュートは決まらないのだ。巧妙なシュートもうまかったが、ビエリはそれよりも有無を言わずねじ込む、無慈悲なほどのシュートが印象的だった。そんなに思い切り蹴らなくても入りそうな場面でも容赦なく、GKの心をくじくように狙った場所へ撃ち込んでいた。たぶんそれが彼の流儀で、生き方の表れのような気がしたものだ。
イル・カピターノ
髪型は一貫して七三分け、いや八二かもしれない。ヒゲは生やさず、サッカー選手というより例えば銀行員のような堅い仕事をしている人にしか見えない。1995年にバンフィルからインテルへ移籍し、1999年からはキャプテンを任された。インテル在籍中にはセリエA5連覇やCB優勝など、計16個のタイトルを獲得。イル・カピターノとして尊敬されたハビエル・サネッティの背番号4は永久欠番となっている。
セリエAでは外国籍選手最多の858試合に出場、アルゼンチン代表でもハビエル・マスチェラーノに抜かれるまで最多キャップ保持者だった(現在はリオネル・メッシが更新中)。右SBまたはサイドMFとしての安定した高水準のプレーは、髪型のように決して崩れなかった。
南米の雄アルゼンチン出身らしく足技に長けているが、どちらかと言えば地味なタイプだろう。技をひけらかすようなところはまったくない。質実剛健、すべてが正確。クロスボールの精度の高さ、足下からボールを離さずに切り込んでいくドリブルの速さは独特だったが、サネッティの凄さはその脚力にあったと思う。
およそ脚力の弱いサッカー選手はいないわけだが、サネッティは“水すまし”のようにフィールドを駆け回る。走るというより滑っているようで、上体が大きくブレないないままスィーッと加速していた。この走り方はメッシとよく似ている。ボールありきの走り方だ。
サネッティはメッシと同じように、高速ドリブルでもボールが足下から離れない。メッシほどステップワークの変化はないが、常にボールが右足の前にあり、相手の出方次第でとっさにタッチを変えられる。だからこれといったフェイントもないまま、何十mも運んでいける。たぶんボールがあってもなくても、そんなにスピードは変わらないのではないか。ドリブルが脚力を作ったと考えられる。
サネッティの場合、長距離のドリブルをした後でも平気で守備もできていたのが驚異的だった。速いだけでなく、ずっと走っていて、試合の終盤でもスピードが落ちない。その無尽蔵のスタミナは、長くレギュラーを張り続けられる信頼に繋がっていたに違いない。
我が道を行くビエリとは対照的に見えるが、サネッティも自分のスタイルを崩さなかったのは同じだ。品行方正、真面目を絵に描いたような選手だが、無理してそうなっているのではなく、それがサネッティなのだと思う。その意味でも、生まれながらのキャプテンだった。
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相対するDFを時にスピードで振り切り、時に強靭な肉体でなぎ倒して得点を重ねたゴールハンターのビエリと、驚異的なスタミナでピッチをカバーし攻守に貢献、主将として精神的な拠りどころにもなったバンディエラのサネッティ。インテルでキャリアの全盛期を過ごした2人が、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!
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配信機種:iOS / Android
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Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。