日本選手団が過去最多のメダルを獲得して幕を閉じた東京オリンピック。チームGB(イギリス)も22個の金メダルを獲得し、日本(27個)に次いで金メダル数4位を記録した。
そのイギリスに22個目の金メダルをもたらした選手が、とても興味深い人物だった。五輪最終日となった8月8日、ボクシングの重量級の決勝戦が開かれ、そこで英国の女子ボクシング史上2人目の金メダリストが誕生したのである。27歳のローレン・プライスだ。
彼女は準決勝で宿敵ヌーカ・フォンティン(オランダ)を退けると、決勝ではリオ五輪で銅メダルを獲得している中国のボクサーを相手に、自分の距離を保ちながら優勢に戦いを進めて5-0の判定勝ちを収めて頂点に輝いたのだ。
何気なくテレビを見ていたのだが、実況が「彼女はウェールズの年代別のサッカー代表選手でもありました」とコメントしたものだから、一体どんな人物なのか気になり調べることにした。
3つの目標、すべてを達成
ウェールズ生まれのプライスは、“二刀流”どころか三刀流や四刀流というスポーツ万能な少女だったという。『BBC』の特集記事によると、祖父母に育てられたプライスはエネルギーを持て余しており、いろいろなスポーツに興味を示したという。そして8歳の時に、3つの目標を書くという学校の宿題で「キックボクシングの世界チャンピオン、ウェールズ代表のサッカー選手、オリンピック出場」と答えたそうだ。
プライスは7歳でサッカーを始めると、ネットボール(バスケットボールのような競技)やキックボクシングにも励み、13歳にしてキックボクシングの欧州選手権を制して新聞に載った。そしてすぐに世界タイトルまで手中に収めてみせたのだ。
その後は球技と格闘技を両立させ、サッカーではカーディフ・シティに所属して各年代の代表に選出されると、A代表でも2試合に出場した。17歳の時には、子供の頃に掲げた3つの目標のうち、2つも達成していたのである。
3つ目の“オリンピック出場”に関しては「世界最大のスポーツイベントなので、昔からオリンピックを見ると鳥肌が立った。いつか自分も出場してみたいけど、どの種目で出場できるのかわからなかった」と明かしたそうだ。
そのため、16歳の時には五輪種目であるテコンドーにも挑戦したという。しかし、パンチが得意な彼女には足技が中心のテコンドーは合わなかったそうだ。そこでプライスはサッカーとボクシングに専念することを決断。そしてサッカーでは母国ウェールズで開催された2013年のU-19女子欧州選手権で、U-19ウェールズ女子代表の腕章を巻いてピッチに立った。
もしかすると、サッカーを続けていてもチームGBとして東京オリンピック出場の夢が叶ったかもしれないが、彼女が最終的に選んだ競技はボクシングだった。2012年に女子ボクシングが五輪の正式種目となり、2014年にウェールズ代表のボクサーとして英連邦競技大会に出場するチャンスが巡ってきたため、サッカーを辞めてボクシング一本に絞ったのだ。
支えてくれた祖父母への感謝
しかし、ウェールズのボクシング強化選手だけでは食べていけず、タクシー運転手をしながらボクシングに打ち込んだという。そして英国の強化指定選手となり、東京オリンピックの予選を戦うはずだったが、コロナ禍の影響で予選は延期。プライスは自宅の車庫で黙々と練習する日々を送ることになった。
ようやく欧州予選が開かれたのは今年の6月のこと。そこで優勝して五輪の出場権を手にしたプライスは、その2カ月後に両国国技館のリングで金メダルを手にしていた。試合後の会見で「ボクシングの次は?」と記者に聞かれたプライスは「パリ五輪は3年後だし、しばらくボクシングを続けるわ」と笑顔で答えてみせた。
しかし表彰式後のテレビインタビューで家族の話題になると、プライスは涙をこらえきれなくなった。3歳の頃から祖父母に育てられたプライスは、自分にいろいろなスポーツを紹介してくれた最愛の祖父を昨年11月に亡くしていたのだ。
「今日、祖父は私のことを見守ってくれていたはず」とプライス。「今週ずっとそうだったと思う。これまでの感謝は言葉にならない……祖父も祖母も愛しているわ。早く帰国して祖母にメダルを見せたい」
熱いものが頬を伝ったプライスだが、金メダリストになった気分を聞かれた際には「Over the moon」と答えた。これはうれしい時の表現で「月を飛び越えるほどうれしい」という意味があるのだが、彼女ほどこの表現が似合う人もいない。
8歳の少女が「3つの目標」を掲げた時、学校の先生は驚きを示したという。しかし、祖母だけは彼女を信じてずっと背中を押してくれたという。そして「月を目指しなさい。もし届かなくても星に落ちるだけよ」と声をかけ続けてくれたそうだ。
月を目指した少女は、気づけば東京の地で月を飛び越えていたのだった。
Photos: Getty Images
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。