ブラジルで開催されているコパ・アメリカ準々決勝の対ペルー戦でPK戦の末に敗れた夜、ナシオナル所属の3人の選手がウルグアイ代表を離れて即刻帰国し、コパ敗退から約18時間後に行われたペニャロールとのクラシコで全員が先発出場して勝利の立役者になるという、まるで映画のシナリオのような出来事があった。
ウルグアイが勝ち進んでいた場合は選手を連れ戻すことができなくなるリスクを厭わず事前にチャーター便を調達し、クラブ役員が選手たちをブラジルまで迎えに行くという大胆なプランを実行したナシオナルについて、ウルグアイ国内のメディアは「完全な戦略的勝利だった」と報じている。
妨害を乗り越え試合当日に移動開始
コパ・アメリカに参加していたナシオナルの選手はGKセルヒオ・ロチェ、SBカミーロ・カンディド、FWブライアン・オカンポの3人で、いずれもクラブでは主力だが、ウルグアイ代表では控え要員。ペルー戦ではロチェとオカンポがベンチ入りし、カンディドはメンバーに入らず、3人とも出場機会はなかった。
ナシオナルは今回のクラシコに備え、万が一ウルグアイが敗退した場合にはペルー戦の直後に選手3名を連れ帰る旨をAUF(ウルグアイサッカー協会)に前もって報告。許可を取った上で、役員がチャーター便で試合当日に会場のブラジリアに向かい、ペルー戦開始の3時間前にあたる16時に現地到着。そのまま試合結果を待つこととなった。
そして試合後、ウルグアイ代表一行がスタジアムから滞在先のホテルに戻り、ナシオナルの選手たちが帰国の準備を終えていざ出発というところで、ちょっとした騒動が起きた。ナシオナルの役員が帰国に必要な書類をAUFから受け取っていた際、同協会のガストン・テアルディ副会長がそれを阻止しようと試みたのだ。
なぜ、そのようないざこざが起きたのか、明確な理由は明らかになっていないが、『エル・オブセルバドール』紙のナシオナル番記者は「ウルグアイの敗退を待っていたかのようなナシオナル側の姿勢にテアルディ副会長が憤慨した」と見ている。
準備のおかげで試合では大活躍
すったもんだの挙げ句ようやくすべての準備が整い、ナシオナルの役員と選手3人がホテルを出発したのは23時半。翌朝5時にウルグアイの首都モンテビデオに到着、5時半にはクラブの宿泊先に入り、11時半に他のチームメイトと合流するまでゆっくり身体を休めたが、『エル・オブセルバドール』紙の取材によると、ナシオナルの指導陣はこの3人に「フィジカルだけでなくメンタル面にも細心の注意を払った」という。
半日前まで3週間にわたってウルグアイ代表でコパ・アメリカに集中していたこと、敗退によるネガティブな心境にあったことなどを考慮して、早朝に監督とアシスタントコーチが自ら空港で彼らを出迎えた後、ホテルまで同行。帰属意識と信頼関係を呼び戻し、一刻も早く頭を切り替えさせた。
これらすべてが功を成し、ナシオナルは71分にオカンポ、84分にカンディドがそれぞれゴールをマーク。GKロチェも好守を見せて2-0の勝利に大きく貢献した。
『エル・オブセルバドール』の番記者は「もし負けていたら大金と労力を無駄遣いしたと批判されたはず。大きなリスクを負うことを覚悟したうえで試合前に選手を迎えに行く判断を下した時点で相手チームに差を付けた」と語っている。
ちなみに、ナシオナルが選手をブラジルまで迎えに行ったことを知ったペニャロールは、ウルグアイvsペルー戦の直前に急遽チャーター便を手配。コパ・アメリカに参加していたFWファクンド・トーレスとDFジオバンニ・ゴンサレスをクラシコのために連れ戻したが、彼らがブラジルを出発したのはペルー戦翌日の朝7時半、モンテビデオ到着は試合開始の5時間前。ともに後半から出場したが、結果的に今回は代表組の合流において先手を取ったナシオナルに軍配が上がる形となった。
Photo: Getty Images
Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。