トゥヘルとグアルディオラ。元バイエルンSDが語るレストランでの出会い
2020-21シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝は、トーマス・トゥヘル率いるチェルシーとペップ・グアルディオラが指揮を執るマンチェスター・シティの一戦となった。
交友関係にある戦術家同士の一戦とあり、ドイツではすでに広く知られた2人の最初の出会いを振り返る記事も書かれた。5月26日の『シュポルトビルト』では、この面会をセッティングした当時バイエルンのスポーツディレクターを務めていたミヒャエル・レシュケが話をしている。
レストランでのディスカッション
バイエルン時代のグアルディオラについて、レシュケ以上に良く知る人物はいない。試合の分析やミーティングの席には常に帯同し、間近でペップの仕事ぶりを見ていた1人だ。同時に、レバークーゼンで育成の指導者からスカウト統括、そしてプロチームのマネージャーまで長きにわたって務めたレシュケにとって、トゥヘルは最も興味深い若手監督であり、長年に渡って互いに連絡を取り合う関係を築いていた。
2015年のある日、ペップのオフィスにいたレシュケが、1年間の休暇を取っていたトゥヘルとミュンヘン市内の『シューマン』で会食することをペップに伝えた。ペップは「私も行く!」と声を上げると、すぐさますべての予定をキャンセルしてしまった。
そうして、夜8時から始まったディスカッションは、真夜中を過ぎても終わることはなかった。高級レストランのテーブルは戦術ボードとなり、選手に見立てた塩やコショウの入った瓶やグラスが絶え間なく動き続けた。
初めてドイツで指揮を執った2013-14シーズン、トゥヘルが率いるマインツとの2試合は、グアルディオラにとって最も大きなインパクトを受けるものだった。マインツの試合に向けた準備のための分析の際、レシュケに向かってグアルディオラは驚きながら叫んだという。
「彼は常にプランを持っている!」
好奇心に突き動かされたグアルディオラをレストランで待ち受けていたのは、トゥヘルからの止むことのない質問の嵐だった。
トゥヘルは2000年代後半、世界のサッカー界にパラダイムシフトをもたらしたグアルディオラのサッカーに心酔していた。ペップについて書かれた本を読み、試合の分析を行い、バルセロナまで訪れて試合を見に行っていたほどだ。
当時のバルセロナのあらゆる試合のメンバーや選手交代、システムや各場面まで頭に入っていた。「2人のディスカッションのレベル、分析や記憶力に呆然としてしまうときもあった」とレシュケは振り返る。
数カ月後の会食の席には、2012-13シーズンにトリプルを達成したユップ・ハインケスのアシスタントコーチを務めたペーター・ヘルマンが同席した。
経験豊富なヘルマンも、ディスカッションを終えた後に「これまでもサッカーというゲームについて、たくさんのことを理解したいと願っていた。だが、まったくレベルが異なるリーグで試合をしている人間もいるようだ」と舌を巻いた。グアルディオラのバイエルン監督就任が、ドイツサッカー界の潮流を大きく変えたことを物語るエピソードだ。
ペップの準備が完璧に成功した一戦
バイエルンに来てからグアルディオラの仕事の一部始終を見ていたレシュケにとって、最も強烈な印象を受けた試合は、2014-15シーズンのCLグループステージ、アウェイでのローマ戦だ。
当時左サイドを主戦場としていたダビド・アラバを3バックの左に起用し、通常右SBのフィリップ・ラームを守備的な右ハーフに置いた。ラームには広い守備範囲を生かして右WBに置いたアリエン・ロッベンの守備のカバー役を務めさせるなど、現在のマンチェスターCのアイディアの原型とも言える仕組みを実践した一戦だ。グアルディオラの狙いは面白いように決まり、7-1という大勝を収めた。
「ペップは対戦前に行われたユベントスとローマの試合に私を連れて行ったんだ。試合前にはすでに両チームのディテールが頭に入っていた。各選手のボールを受け方から、プレッシングをかけるゾーンまでね。尋常じゃなかったよ。バイエルンとローマの対戦では、ペップが打つ手がすべてうまく決まるのを見ることができた」
「スタンドから試合を見ていて、次に何が起きるのか、すでに分かっていた。使うスペース、サイドチェンジ、そしてパスの一つひとつまでね。試合前にプランが組まれていて、それが全てピッチ上で成功していた。信じられなかったよ。ペップは独裁者で両チームに命令を下しているわけじゃない。彼はただ解決策のアイディアを選手に示していただけなんだ」
戦術分析が好きな人々は、2014年10月5日に行われたセリエAのユベントスvsローマ、その直後のCLローマvsバイエルンを見れば、言葉ではなく試合を見る作業から直接グアルディオラの思考の一端を見て取ることができるだろう。
ペップはトゥヘルを推薦したが…
トゥヘルの能力を理解したグアルディオラは、自身の後任としてトゥヘルを推薦していた。「ミヒャエル、彼がバイエルンに来るように全力を尽くさないといけない」
レシュケは振り返る。「ペップは、トゥヘルが後を継ぐことが、バイエルンの未来の栄光につながると信じていたんだ」
レシュケは一度、ウリ・ヘーネスとトゥヘルの面会をセッティングしたものの、最終的にトゥヘルはドルトムントに行くことを選択した。ドイツのビッグクラブで欧州トップクラブからの注目を集めたトゥヘルは、パリ・サンジェルマン、チェルシーと国外で着実に実績を積み上げた。
サウサンプトンに渡ったハーゼンヒュットルが指摘していたように、ドイツ語圏の若手監督を過小評価するドイツ国内の風潮が裏目に出た結果となった。今季、是が非でもナーゲルスマンを獲りに行ったのも、この時の反省があったと見ることもできる。
6年前のほんの偶然がもたらした一晩が、今では現代サッカーの流れを左右している。当時、CL決勝の舞台でトゥヘルがグアルディオラに勝利すると話をしても、誰もまともに相手にしなかったはずだ。ただ一人の例外を除いて。
その例外とは――ペップ・グアルディオラ本人だ。
Photos: Getty Images
Profile
鈴木 達朗
宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。