2020-21シーズンをもって、“クン”ことセルヒオ・アグエロのマンチェスター・シティ退団が決まりました。10年間の在籍期間中、アグエロは常にチームのエースストライカーであり、ケビン・デ・ブルイネが台頭したこの1、2年を除けばチーム最大のスターでもありましたが、一方で一度たりともチームの人格的な核、顔役にはなりませんでしたし、アグエロ自身もそのことをまったく気にしていないように見受けられました。本稿では、そのキャラが濃ゆいようで薄い人、アグエロの10年間を振り返ってみたいと思います。
まずは記録をおさらいしてみましょう。
●リーグ通算:275試合184点(歴代4位)
●全コンペティション合計:390試合260得点
●1シーズン30得点以上を記録した回数:5回
●1試合あたり得点:0.67(20-21シーズン終了時点で歴代3位)
●出場時間あたり得点:107.9分/点(20-21シーズン終了時点で歴代1位)
●PFAチーム・オブ・ザ・イヤー:2回
●プレミアリーグ得点王:1回(14-15)
歴代通算で見ても、アグエロより点を取っているのは、アラン・シアラー、ウェイン・ルーニー、アンディ・コールだけです。その下を見ても、今後数年以内にアグエロを上回りそうな可能性があるのはハリー・ケインくらいでしょう。
さて、それだけ傑出したスコアラーであったアグエロの過ごした10年間ですが、そのプレースタイルによって、大きく3つに分けることができます。
2011年から2014年:美女と野獣時代
2011年夏、押しも押されもせぬエースストライカー候補として、クン・アグエロはアトレティコ・マドリーからマンチェスター・シティにやってきました。チームには前年リーグ得点王のカルロス・テベスに加え、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表のエディン・ジェコ、イタリア代表のマリオ・バロテッリがいましたが、テベスはもう半年以上も移籍するだのしないだのと言って揉めており、ジェコもまだまだ未知数、バロテッリはバロテッリという状態だったので、首脳陣およびファンからの期待は非常に大きいものがありました。
南米出身者としてはむしろ珍しいことではありますが、アグエロはプレミアリーグに瞬く間に馴染みました。開幕節のスウォンジー戦で途中出場すると、30分で2得点1アシスト。2つのゴールは、GKとDFラインの間に入れられたクロスに飛び込んでのタップインと、ペナルティエリア手前から対角線に打つミドルという、この後10年にわたって何度も繰り返される得点パターンだったことが懐かしく思い出されます。どうでもいいことですが、アグエロのミドルはドライブがかかって鋭く落ちる球筋が異様に多いという特徴がありました。あれにはどういう効果があったのか(あるいはなかったのか)、アグエロと対戦してきたGKたちに聞いてみたいところです。
アグエロの「あの」ゴールによって44年ぶりのリーグ優勝を成し遂げたロベルト・マンチーニ政権でしたが、続く12-13シーズンにタイトルを逃すと、選手から人気がなかったこともあってあっさり切られ、より攻撃的でオープンな、マヌエル・ペジェグリーニが監督に就任します。この「マンチーニ〜ペジェグリーニ初期」(13-14シーズンまでの3年間)におけるアグエロの特徴を挙げるとすれば、テベス、ジェコ、アルバロ・ネグレドといった汚れ仕事を担ってくれる相方と2トップを組めたために、試合から消えて得点機会だけに専念できたことでしょう。特徴は三者三様ではありましたが、この3人に共通するのは、連続的にボールやスペースに関わりながらチームのために働けるところでした。アグエロとネグレドの2トップは一部の英メディアから“美女と野獣コンビ”と呼ばれていましたが、彼ら“野獣”のおかげで、自分が好きな場面だけに集中できたのがこの頃のアグエロでした。有り体に言えば、点を取っている時以外は割と役立たずという人だったのです。
その「点を取る」頻度の圧倒的高さは、もちろんアグエロを凡百(ぼんぴゃく)のFWたちとは違うものにしていましたが、本人が頻繁にケガで不在にしていたこともあり、いま一つチームの中心とは言いがたい選手でした。
2014年から2016年:アグエロ依存時代
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Profile
szakekovci (sake)
サッカーに関するビジネス、経営、ファイナンス、そして与太話を書くブログ『We gotta put it out somehow, yeah, yeah』の著者。マンチェスター・シティとスティーヴン・アイルランドのファン。普段は経営コンサルタント。