オーウェンとジェラード。リバプール復活の道程に現れた2人のレジェンド
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キャリアの後半はケガに悩まされたものの卓越した得点能力で数々の印象的なゴールを生み出したマイケル・オーウェンと、攻守に万能なプレー面はもちろん精神面でも長くチームの象徴として君臨したスティーブン・ジェラード。1999-00シーズンのカップ・トレブルを達成するなど名門リバプール再興の一翼を担った名手2人のキャリアを振り返る。
走り始めた2人
マイケル・オーウェンは1979年12月14日生まれ、スティーブン・ジェラードは1980年5月30日。わずか半年ほどの間に誕生した2人は、リバプールを長く牽引してくれるものと期待されていた。
小柄で素晴らしい加速力を持ったゴールマシーンのオーウェン、ひょろりとした長い手足でつかみどころのないジェラード。2人の若者は対照的だった。
オーウェンは見るからに聡明そうで、話し方もしっかりしていた。ジェラードは朴訥な青年然としていて訛りも強い。オーウェンは1996-97シーズンにプレミアリーグデビューを果たし、ジェラードは1998-99に右SBとして初出場。この時、オーウェンはすでにスターだった。ジェラードがデビューする前の1997-98に18ゴール、リーグ得点王を獲得していたのだ。以後、7シーズンにわたってオーウェンはリバプールのリーディングスコアラーであり続けた。
1998年のフランスワールドカップで、オーウェンは世界に強烈なインパクトを与えている。
ラウンド16のアルゼンチン戦、ロベルト・アジャラとホセ・チャモをぶち抜いてゴールを決めた。方向を変える時のキレ、そこからの加速。一瞬でDFを置き去りにするスピードは、次代が誰のものになるかを予感させるのに十分だった。
イングランドには時どき、オーウェンのような天才児が登場する。
チェルシーの練習場にひょっこり現れて8人をごぼう抜きしてゴールを決めたジミー・グリーブス。“ガザ・マニア”を生み出した破天荒なポール・ガスコイン。イングランド代表でオーウェンの10番を継いだウェイン・ルーニー。父親が有名なクリケット選手だった快足セオ・ウォルコット。彼らはみな早熟で輝かしい才能に恵まれていたが、みなどことなく不運の陰もつきまとう。グリーブスは優勝した1966年ワールドカップではポジションを失った。ガスコインは時おりまばゆい輝きを示しながらもトップコンディションを維持し切れず。ルーニーは長く安定したプレーぶりだったが多才過ぎてチームを支える側に回ることも多く、もっと違うキャリアもあったのではないか思うこともある。
オーウェンは2001年にバロンドールを受賞した。2000-01シーズンのリバプールのカップ戦3冠(UEFAカップ、FAカップ、リーグカップ)への貢献が評価されたわけだが、この22歳の頃がキャリアのピークだったかもしれない。
再建を担う
1970年代の後半にヨーロッパ最強チームだったリバプールが、勢いを失うきっかけとなったのが2つの悲劇である。
1984-85シーズンのチャンピオンズカップ(現CL)決勝における「ヘイゼルの悲劇」と、1988-89の「ヒルズボロの悲劇」だ。ヒルズボロの被害者で最年少だった10歳の少年は、ジェラードの1つ年上の従弟だった。10年後にデビューした生え抜きのジェラードは、やがてその双肩に名門復活の重責を担うことになる。
デビュー当時はパスワークやボールコントロールにセンスを感じさせたものの、まだ体が出来上がっていない感じで、いかにも少年という雰囲気だった。同じ年頃でもワンダーキッドだったオーウェンのような早熟型ではない。レギュラーポジションを確保したのはジェラール・ウリエ監督下の2000-01、3冠のシーズンである。
ジェラードはたくましく成長し、ボックス・トゥ・ボックスのイングランドらしいMFになっていた。大きなストライドでフィールドいっぱいに駆け回り、正確なパスでの組み立てだけでなく、どちらのゴール前にも現れて攻守に活躍した。激しいタックルも得意で、テクニシャンでありながら闘う姿勢を前面に出していくスタイルはファンの心を鷲づかみにしている。2003-04シーズンにはキャプテンを任された。このシーズンを最後にオーウェンはリバプールを去ってレアル・マドリーへ移籍、チェルシーへの移籍が噂されながらジェラードは残る。リバプールを牽引してきた2人は袂を分かつことになった。
ジェラードの覚醒
ルイス・フィーゴ、ジネディーヌ・ジダン、ロナウド、デイビッド・ベッカムとスーパースターを獲得してきたレアル・マドリーのターゲットがオーウェンだったのは不思議ではない。ベッカム以外は全員バロンドール受賞者だ。ただ、オーウェンが加入した当時の「銀河系軍団」はすでに傾き始めていた。
オーウェンはわずか1シーズンで退団している。ロビーニョとジュリオ・バチスタの加入とともにレアル・マドリーでの居場所がなくなり、ニューカッスルへ移籍。彼は1999年にハムストリングスを負傷して以降、慢性化していた。2006年ワールドカップでは前十字靭帯の断裂という重傷を負った。もし相次ぐ負傷がなければ、イングランド代表のあらゆる記録を塗り替えていたかもしれない。
加速力は天性のものだ。小学生年代で2年間に97ゴールをゲットする新記録を樹立している。イアン・ラッシュの72ゴールを大きく上回る得点力は注目を集めた。俊敏性も図抜けていて、シンプルな技術で最大限の効果を上げた。ボールに相手より1歩、あるいは半歩速く触れる能力はゴール前でモノを言った。そうした身体能力だけでなく、クレバーなポジショニングやタイミングのセンス、10代の頃に見られた短気もすぐに収まって冷静で模範的なプレーヤーでもあった。
2009-10シーズンに移籍したマンチェスター・ユナイテッドではクラブのエースナンバーである7番で迎えられたが全盛期のフォームには戻らず、2013年にストーク・シティで引退している。
オーウェンが去った後、ジェラードはそれまで以上にリバプールの中心になった。
ポジションを1つ上げて1トップの背後でプレーするようにもなり、2004-05シーズンに13ゴールを決め、次のシーズンは23ゴール、2008-09はキャリアハイの24ゴールを記録する。武器の1つだった強くて正確なキックをシュートとして生かしていた。
ジェラードのシュートはほぼサイドキックである。強烈なミドルシュートもインサイドで蹴っているせいか、着実にコーナーを突いていた。長いリーチとボディバランスを使って前線近くでタメを作れる能力も大きい。守備も献身的で、何よりチームを牽引するリーダーシップはファンの心を震わせるものがあった。
2004-05シーズン、CL決勝ではミランに0-3とリードされた後半にヘディングシュートを決めて3-3に追いつく反撃の狼煙を上げている。PK戦で勝利し、リバプールに久々にビッグイアーをもたらしたこの試合は「イスタンブールの奇跡」として語り継がれている。
チェルシーへ移籍する選択もあったが、CLを制したことでジェラードはすでにリバプールの伝説になっていて、キャプテンとしてクラブの象徴でもあった。仮にチェルシーへ移籍していたら、「事件」になっていたかもしれない。ジェラードがリバプールに残ったのは、生え抜きだったことが大きいだろう。選手である前からリバプールのサポーターだったのだ。クラブを見捨てて移籍することはできなかったのではないか。
弱肉強食のサッカー界で、立身出世を追い求めていくのは自然ではある。ただ、個人の栄達だけがすべてではない。栄光も厳しい時も、みなで共有していく。過去の記憶とともに生きていくのもまた幸福なサッカー人生に違いない。
それだけに2013-14シーズンの出来事は悲劇的だった。悲願の優勝まであと一歩と迫りながら、ジェラードが足を滑らせて転倒したためにチェルシーに決勝点を喫し、優勝を取り逃がしてしまったのだ。これまでも、このシーズンも全身全霊でチームを牽引してきたジェラードが最後の最後にスリップし、手にしかけていた優勝もその手から滑り落ちてしまったのは残酷なシーンだった。
ジェラードはついにプレミアリーグを獲れなかった。だが、沈みかけていた名門を盛り返した力闘をリバプールの人々は決して忘れないだろう。
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小柄な体躯を利した一瞬の動き出しでDFを出し抜き、ゴールネットを揺らす“ワンダーボーイ”マイケル・オーウェンと、ボックス・トウ・ボックスの最高峰としてプレーで、そして強烈なキャプテンシーで文字通りチームの心臓となってきたスティーブン・ジェラード。名門リバプールのレジェンド2人が、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!
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Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。