ディエゴ・マラドーナの死によるショックからいまだ抜け出すことのできないアルゼンチンサッカー界が、またしても深い悲しみに包まれた。2月6日未明、ゴドイ・クルスに所属していたウルグアイ人FWサンティアゴ・ガルシア(30歳)が自宅で自らの命を絶ったのだ。
重度のうつ病で治療中
アルゼンチンのメディアが報じた内容によると、ガルシアは新型コロナ禍による渡航制限の影響で長期にわたってウルグアイ在住の実娘に会えずにいたことや、ゴドイ・クルスから戦力構想外と通達されて移籍先を探していたことなどから重度のうつ状態にあり、精神科医の治療を受けている最中だったという。
「モロ」の愛称でゴドイ・クルスのサポーターから愛されたガルシアは2009年、17歳の時に母国の名門ナシオナルでプロデビュー。デビュー戦でいきなり豪快なヘディングシュートを決めて一躍人気者となり、その後も優れた得点力を発揮してU-20ウルグアイ代表メンバーにも選ばれ、同年開催されたU-20南米選手権とU-20W杯に出場。翌年は国内リーグ前期のトップスコアラーとなり、エリートぞろいのナシオナルにおいて若干19歳の若さで不動のレギュラーとなった。
2011年、ブラジルのアトレチコ・パラナエンセに移籍したが、その直後、ナシオナル在籍時に検出されたドーピング陽性反応がコカインによるものであったことが発覚。本人はコカイン服用の事実を否定したものの、この頃からウルグアイの一部のメディアやファンから厳しい視線を注がれるようになり、うつ病の初期症状が出始めた。
その後、トルコのカシンパサに入団するも、3試合に出場しただけで母国に帰国して古巣ナシオナルに戻ったが、フィジカルコンディションは思わしくなく、18試合で1ゴールという成績で辛辣な批評を浴びることに。
しかし2015年、傷心のままウルグアイのリーベルプレートに移籍した途端、ストライカーとしての臭覚を取り戻し、再びリーグ戦のトップスコアラーに君臨。そして2016年にゴドイ・クルスに入団してからはゴールを量産し続け、1部リーグにおけるクラブの歴代得点王となっていた。
「我われはロボットではない」
だが、母国でコカイン服用者のレッテルを貼られたことによる精神的なダメージからは解放されることのないままうつ病に苦しみ続け、2018年にはアルゼンチンのテレビ番組のインタビューに応じた際、「我われプロサッカー選手はロボットではない」と注意喚起をしていたが、悲しい結末を迎えることになってしまった。
悲劇が起きる3日前、「うちのクラブにはポジティブなリーダーが必要だ」という言葉でガルシアにプロ意識が欠如していることを指摘したゴドイ・クルスのホセ・マンスール会長に対する非難の声が高まる中、晩年のマラドーナもうつ病に悩んでいたことから、ガルシアの訃報は改めてアルゼンチンのスポーツ界に警鐘を鳴らすことになり、指導者や現役の選手らが一斉にSNS上でメンタルヘルスのケアの意義と重要性を強く訴える現象を巻き起こしている。
元アルゼンチン代表DFで現在はESPNのパネリストを務めるセバスティアン・ドミンゲスは、自身のツイッターでFIFPro(国際プロサッカー選手会)による「プロサッカー選手の38%がうつ病もしくは精神的な問題を患っている」というデータを引用。
「プロサッカー選手は一般的に称賛される存在だ。短期間で大金を手に入れ、短期間で認められ、短時間でありとあらゆる権力を与えられ、多くを得る一方で、何も残らないこともある。モロはそんな状況の中で自分を見失い、幸せになるための何かが不足していた」とコメントし、プロサッカーの世界に生きる者が直面する厳しさと、それに対する社会のあり方を問い正している。
Photos: Javier Garcia Martino/Photogamma
Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。