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クロード・マケレレ。1人で2人分のスペースを埋めるモダンなボランチの先駆者

2020.12.30

この記事は『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』の提供でお届けします。

ピッチの広範囲をカバーする走力と驚異的な守備力で、スターぞろいのレアル・マドリーやジョゼ・モウリーニョの下で強豪へとのし上がったチェルシーで重要な役割を果たしたクロード・マケレレ。選手のアスリート化が進む現代サッカーのボランチ像を体現した先駆者の足跡に光を当てる。

マケレレとエンドラム

 ヤフェット・エンドラムという選手がいた。チャドからカメルーンに渡ってトネーレ・ヤウンデで活躍してフランスのナントへ移籍、そこでカリスマ的な“10番”としてプレーした。

 エンドラムのピークはナントでの7シーズンで、その後にモナコへ移籍したが負傷で活躍できなかった。ゲームを組み立て、決定的なパスを出し、足でも頭でも得点するエンドラムは、好調時にはリーグ1でも最高の選手だった。

 そのエンドラムの傍には常にクロード・マケレレがいた。後の、レアル・マドリーやフランス代表でのジネディーヌ・ジダンとの関係性は、すでにナントの頃からあったのだ。

 パリのパルク・デ・プランスでは毎年恒例の少年サッカー大会があり、マンチェスター・ユナイテッド、バルセロナ、サンパウロといった世界中の名門クラブのジュニアチームが参加していた。その中にナントもいたのだが、エンドラムとよく似た少年がエースで、マケレレと似た小柄な少年とコンビを組んでいたのには驚かされたものだ。何もそこまでトップチームに似せるつもりはなかっただろうから単なる偶然だと思うが、大人のチームのミニチュアみたいに見えたものだ。

 クロード・マケレレはザイールで生まれている。ただ、キンシャサの記憶はほとんどないだろう。4歳でフランスへ移住しているからだ。ムラン、ブレストのユースチームを経て、ナントでデビュー。1994-95シーズンのリーグ1に優勝し、UEFAカップ(現EL)でもベスト4に進出した。

 ナント時代のマケレレは守備的MFというより中盤のダイナモだった。小柄だが敏捷で、運動量が図抜けていた。テクニックも文句なし。長身のエンドラムとの凸凹コンビはナントのエンジンだった。

2016年、ナントの試合に訪れたマケレレ(左から2番目)とエンドラム(右から2番目)

去られてわかる重要性

 ナントからマルセイユ、スペインのセルタを経て、2000年にレアル・マドリーへ加入したマケレレは、「銀河系」と呼ばれたスターぞろいのチームで重要な役割を果たすことになる。

 当時のレアルは毎年スーパーなスター選手を獲得していた。ルイス・フィーゴ、ジネディーヌ・ジダン、ロナウド、デイビッド・ベッカムというキャスティングは補強というよりコレクションに近い。

写真は2002-03のメンバー。上段左からカシージャス、イエロ、エルゲラ、フラビオ・コンセイソン、フィーゴ、ジダン。下段左からマケレレ、サルガド、ロベルト・カルロス、ラウール、ロナウド

 マケレレはベッカムが加入した2003年にチェルシーへ移籍している。「自分の仕事に敬意を払われなかった」と移籍の理由を話している。フロレンティーノ・ペレス会長は、ジダンやフィーゴの守備を肩代わりしてあげる補助要員としか思っていなかったようだ。クラブの会長はスター選手にはいい顔をする。スーパースターのいるクラブの会長として自尊心を満足させられる。ところが、裏方的な役割の選手には見向きもしない、無関心ということもままある。ペレス会長にしてみれば、マケレレの代わりなどいくらでもいると考えていても不思議ではない。なにせ、「ジダネス・イ・パボネス」を打ち出した人なのだ。

 「ジダンたち」は、ジダンを筆頭とするスターたちだ。一方の「パボンたち」とは、カンテラ出身者を中心とした非スターであり、スターたちを裏で支える役割の選手たちを指す。主に守備の選手であり、スターの獲得には莫大な金をつぎ込むが、「パボンたち」はなるべく安上がりに済まそうという、強化方針というより経営方針だった。

 確かにマケレレにジダンのようなテクニックはない。だが、ジダンにもマケレレの守備力はないのだ。レアルのようなアタッカー過多のスター軍団の場合、むしろカギを握るのは守備の選手なのだが、ペレス会長にはそんなフットボールのセオリーなど関心はなかったに違いない。

 ロナウド、ラウール、フィーゴ、ジダンにロベルト・カルロスが加わる攻撃陣の背後で、彼らを支えるのがイバン・エルゲラやマケレレの役割だった。しかし、スターたちがまるで守備をしないのではさすがにもたない。1人か2人は一時的に「マケレレ」になる必要があった。ビセンテ・デル・ボスケ監督は、そのぎりぎりのバランスを注意深く見守っていたのだが、そのデル・ボスケもチームを去り、ベッカムがやって来た。もはやアンバランス確定である。増え過ぎた「ジダネス」を支えるのに、もはやマケレレだけでは無理だった。ベッカムが来て、マケレレが去った。ベッカムが加入して、レアルの人気はピークを迎えるのだが、チームとしての崩壊はマケレレが去ったことで決定的になっている。

ジダン、ラウールとともに歓喜するマケレレ。レアル・マドリー時代には2001-02のCLや2度のリーガ制覇を成し遂げた

ジダンだけでもマケレレだけでも…

 フランスには多くの移民や外国にルーツを持つ人々が暮らしている。だからタテマエとして人種差別は「ない」ことになっているし、実際に米国など諸外国と比べるとはるかにマシなのだろうとは思う。だが、社会の実相を見れば、そうでないことは容易に理解できる。

 あからさまな人種差別はなくても、職業で一目瞭然なのだ。午後にいっせいに行われる道路の清掃作業をしているのは、ほとんどがアフリカ移民系の黒人である。アパートの管理人やホテルの清掃業はポルトガル、スペインからの人々が多い。フットボールでも1980年代までは黒人選手はDFばかりだった。

 長身でスピード、パワーのあるアフリカ移民系の黒人選手は、いわば守備の「保険」としてリベロやストッパーで起用されるのが半ば慣習になっていたのだ。これを変えたのが、ジェラール・ウリエとレイモン・ドメネクが協会の強化部にいた頃だという。国立養成所が創設され、ティエリ・アンリやニコラ・アネルカなどがFWとして起用される流れを作っている。

 マケレレは古い慣習がまだ残っていた頃の典型的なタイプと言える。黒人選手もいろいろで、マケレレやエンゴロ・カンテのように小柄で無尽蔵のスタミナのMFもいれば、マルセル・デサイーのように強靭で要塞のようなCBもいる。アンリのようなスピード抜群のアタッカーもいる。ちなみに、マケレレとエンドラムのコンビは現在のフランス代表におけるカンテとポール・ポグバにそっくりだった。

 フランスほどではないが、ポルトガルも旧植民地から来た選手は多い。エウゼビオやマリオ・コルーナは1960年代の英雄だった。ポルトガル人のジョゼ・モウリーニョは、だからその重要性をよく知っていた。FCポルトでコスチーニャをアンカーとして重用していたモウリーニョ監督は、チェルシーでマケレレにその役割を託している。会長と監督の違いではあるのだが、スペイン人のペレス会長とポルトガル人のモウリーニョの認識の差とも言えるかもしれない。

 マケレレはチェルシーでリスクマネージメントの要となった。1人で2人分のスペースを守れるからだ。相手チームがカウンターのチャンスになった時、必ずマケレレが飛んでくる。立ちふさがるマケレレという「橋」を渡らないとカウンターは成就しない。だが、それは必ず落ちる橋なのだ。そこでマケレレを回避するので、ひと手間余分にかかってしまう。さらに、回避したつもりでもそこには再びマケレレが立ちふさがるので、結局ふた手間かかり、その間にチェルシーの選手たちが戻ってきてスペースはすっかり埋められてしまうのだ。レアルでは汚れ仕事を引き受ける下請け業者のように扱われたマケレレだが、チェルシーでは最も重要な選手として称えられた。

チェルシー時代、クリスティアーノ・ロナウドとマッチアップするマケレレ。2度のプレミア制覇など6タイトルを掲げている

 2006年ドイツワールドカップでは、パトリック・ビエラとともにジダンを背後から支えた。優勝はできなかったが決勝まで進めたのはジダンの神通力だけでなく、むしろビエラとマケレレがいたからだ。ジダンだけでも、マケレレとビエラだけでも、ファイナルへは到達できなかったはずだ。

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無尽蔵のスタミナで危険なエリアを埋め、パワーとアジリティを兼ね備えた対人守備でボールを奪い取りピンチをチャンスへと変える守備的MFの最高峰クロード・マケレレが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!

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<商品情報>

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ジャンル:スポーツ育成シミュレーションゲーム
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Photos: Bongarts/Getty Images, Icon Sport via Getty Images, Getty Images

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Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

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