エバートンを126年ぶりに公式戦開幕7連勝に導いたカルロ・アンチェロッティ監督について、同氏を良く知る者が証言する。「自分が選手なら彼のような監督の下でプレーしたい」と。
ミランやチェルシー、レアル・マドリーやバイエルンで監督としてトロフィーを掲げてきたアンチェロッティ。彼の下で長年アシスタントを務めてきたポール・クレメントが、過去に『The Coaches’ Voice』で明かした名将とのエピソードを英紙『The Guardian』が紹介している。
選手たちと育んだ強い絆
それは2010年のFAカップ決勝の前夜だったという。2009年にチェルシーの監督に就任したアンチェロッティは、1年目からプレミアリーグを制し、クラブ史上初の国内2冠に王手をかけてポーツマスとの決戦を迎えようとしていた。
「部屋は静まり返っていた」とクレメントはその日を振り返る。それまで聞かれたことのない質問を受け、選手たちは戸惑っていたのだ。2冠が懸かった大一番の前日、アンチェロッティはチームミーティングで「これが今季のラストゲームだ。我われは自分たちの力も相手のこともわかっているはずだ。では、どんな戦術を取るべきだと思う?」と選手たちに問い掛けたのだ。
そんなことを聞かれたことがなかった選手たちはしばらく黙り込んだが、徐々にペトル・チェフやジョン・テリー、フランク・ランパードといった選手がアイデアを出し始めたという。そして他の選手も意見を交わすようになり、攻守の要点が出そろうと、アンチェロッティはそれをそのままFAカップ決勝という大一番で採用したという。
結局、チェルシーはディディエ・ドログバのゴールで決勝を制し、クラブ史上初の国内2冠を果たした。
「選手に責任を持たせることを躊躇(ちゅうちょ)する監督もいる」とクレメントは説明する。
「しかし、結局はそれがすべてなんだ。試合が始まれば、大歓声で指示も届かないので監督にできることは限られる。選手自身が状況に応じて瞬時に判断しないといけない。選手が責任感を持つチームの方が強いのだ」
クレメントは、そういった指導法を含め、様々なことをアンチェロッティから学んだという。イタリアの名将は、チーム内に規律を植え付けながらも、1人の人間として選手たちと強い絆を育むことができたのだ。
「一番の経験は私と働くこと」
アンチェロッティがチェルシーの監督に就任した際、クレメントはリザーブチームのコーチに過ぎなかった。だが、トップチームのスタッフが不足していたため、お試しでクレメントがアンチェロッティのアシスタントに昇格することになったという。
クレメントは夏のプレシーズンの遠征に帯同した後、「やはり自分はリザーブチームに戻るべきだ」とアンチェロッティに相談したそうだ。しかし「何を言うんだ。君にとって一番の経験は私と一緒に働くことだ。我われは成功を収める。必ず楽しめるはずだ」と監督に説得されたという。そして気づけばパリ・サンジェルマン、Rマドリー、バイエルンでもアシスタントを務めていた。
クレメントがアンチェロッティに最も感心させられたことは、勉強熱心な姿勢だという。選手時代を含めてイタリアでずっとキャリアを過ごしてきたアンチェロッティは、50歳の時にチェルシーの監督に就任して初めて海外リーグに挑戦すると、英語を猛勉強した。練習が終わると午後は語学の勉強に費やした。それはフランス、スペイン、ドイツに移ってからも同じだったという。
また、アンチェロッティはどのリーグでも、どのクラブでも一貫性を持って取り組んだという。選手との人間関係もそうだが、とりわけ成績との向き合い方がそうだった。成功にも苦境にも決して心を乱さなかったという。「喜び過ぎることも、落ち込み過ぎることもなかった」とクレメントは証言する。
現在ベルギーのセルクル・ブルッヘを率いるクレメント。監督として独り立ちした後も、様々なシチュエーションで「カルロならどうするだろうか?」と考えることがあるという。そしてアンチェロッティについて、こう総括する。
「自分が選手だったら、彼のような監督の下でプレーしたい」
選手に責任感を持たせる名将は、果たしてマージーサイドの青いチームでも成功を収めることができるのだろうか。
Photos: Getty Images
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。