これこそポルトガル。美しさと危うさを秘めた「黄金世代」のめくるめくパスサッカー
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前回の記事ではポルトガルサッカーの戦術的歴史を紐解いた。その中でも今回は、1990年代~2000年代序盤の「黄金世代」にフォーカス。ルイス・フィーゴを筆頭に優れたタレントたちが織りなす華麗なパスゲームは、「これこそポルトガル」として人々の心に深く刻まれている。
華麗なるパスゲーム
かつてパリのポンピード・センターの図書館で資料を探していたら、サッカーのさまざまなフォーメーションを網羅した本を見つけた。その中に1つだけ、ユースチームが取り上げられていた。ワールドユース(現U-20ワールドカップ)を連覇したポルトガル代表ユースである。1989年と1991年のワールドユースで優勝したポルトガルはそれだけ衝撃的だったのだ。当時の中心選手たちは「黄金世代」と呼ばれていた。
ルイス・フィーゴ、ルイ・コスタ、ジョアン・ピント、パウロ・ソウザ、フェルナンド・コウト、リカルド・サ・ピントたちは、その後約10年間、ポルトガル代表を牽引していった。
EURO1996に登場した黄金世代のポルトガルは、さすがに優勝候補とは言えないものの、かなりの期待感をもって迎えられていたのを覚えている。イングランドで開催され、ドイツが優勝したこの大会、ポルトガルはベスト8に入っている。準々決勝でチェコのカレル・ポボルスキの大会ベストゴールとも言えるループシュート一発に沈んだが、そこまでのプレーぶりは大いに将来を期待させるものだった。
[4-1-4-1]のフォーメーションはユース時代と同じ。
4バックの前にアンカーを置き、フィーゴ、ルイ・コスタ、ジョアン・ピント、パウロ・ソウザ、サ・ピントが動き回り、パスを繋ぎまくる。ショートパスをはたいて動き、また受けて繋ぐ――これを繰り返すため、フォーメーションなどあってないようなものだった。当時のEUROでは異質な、めくるめくパスサッカーである。極めて技巧的な半面、ひどく混沌としていて、その圧倒的な攻勢の割には意外とゴールにたどり着くことは少ない。だが、ポルトガルの試合はいつも観客席から感嘆の声が上がっていた。
1998年フランスW杯に予選敗退で出場できなかったのも、その効率の悪さが原因だったと思われる。この時のポルトガルのサッカーは、それ以前とも以後とも少し違っていて、ある意味極端なほど技巧に走っていた。1980年代の最後に突如現れた、コロンビア代表とよく似ていた。路地裏のサッカーを極めたようなテクニック、アイディア、大胆さ、自由さと引き替えに、危うさと不確実性も顕在化していた。だが、面白かった。それは間違いない。
ピークのEURO2000でベスト4
黄金世代が年齢的にピークだったEURO2000では、ベスト4に進出している。
この時期のポルトガルといえば、ストライカー不足と得点力不足。これさえ解消できれば頂点を狙えると言われていたものだ。そして、この大会では待望のストライカーとしてヌーノ・ゴメスが活躍した。
黄金世代の少し後輩にあたるヌーノ・ゴメスは181cm、胸板の厚い堂々たる体格がCFらしい。プロデビューしたボアビスタでプレーしていたのを見たことがあるが、印象としては日本の高木琢也と似ていると思った。中盤でパスを収めてさばき、ゴール前でクロスボールを待つという典型的なCFである。EURO2000では4ゴールを挙げた。
ポルトガルのレジェンド、エウゼビオや次世代のクリスティアーノ・ロナウドと比べるとかなり落ちるが、“まあまあ”のストライカーでも、チャンスをゴールに変えてくれるFWの登場は、黄金世代のポルトガルにとってかなり大きかったかもしれない。
GKにはビトール・バイーア。ポルトガルリーグはブラジル人が外国人枠扱いになっておらず、多くのブラジル人選手が活躍していた。フィールドプレーヤーにブラジル人を使えるせいかGKには外国籍選手が多かった。それでも代表クラスのGKに困ったことはほとんどなく、名手バイーアの後もリカルドが活躍している。
CBは比較的強力なパートだ。EURO2000ではジョルジュ・コスタとフェルナンド・コウトのコンビ。その後もリカルド・カルバーリョ、ジョルジュ・アンドラーデ、ブラジルから帰化したペペなど、長身頑健で安定感抜群のCBに欠くことがない。ヨーロッパの中では高身長のイメージのない国だが、不思議とGKとCBの人材は常にいる。
中盤は最も強力なパートで多士済々。ウイングタイプとしてはセルジオ・コンセイソンが台頭していた。EURO2000はフィーゴとセルジオ・コンセイソンが両翼。その後もクリスティアーノ・ロナウドはもとより、リカルド・クアレスマ、シモン・サブローサ、ナニーとウイングは名手の宝庫と言っていい。
黄金世代の象徴とも言えるルイ・コスタは洗練されたテクニックを持つプレーメイカーだ。グイグイ持ち出すドリブルと鋭利なスルーパスが十八番だった。
パウロ・ソウザは落ち着いた判断でパスを散らしていくボランチタイプ。EURO2000ではコスティーニャと中盤の底でコンビを組んだ。
ポルトガルのシステムで面白いのは、必ずと言っていいほど中盤の底に黒人選手を起用することだ。自由奔放な他のMFの背後で、中盤の掃除人としての役割を果たす。フランスでかつて黒人選手は「リベロ」と相場が決まっていたのと似ている。フィジカルの強さを守備面で「保険」にしたいと考えているのだ。ポルトガルの場合、テクニシャンぞろいのMFを補完する役割としてMFに起用していたのだろう。フランスでも中盤の底にジャン・ティガナ、クロード・マケレレ、パトリック・ビエラ、エンゴロ・カンテを起用していているので、趣向としては同じだ。スペインではEURO2008のマルコス・セナが同様の役割だった。
ノスタルジー
2002年、日韓W杯に出場したポルトガルは優勝候補の一角に数えられていた。
ところが、緒戦でアメリカに2-3と敗れる。第2戦のポーランド戦ではペドロ・パウレタのハットトリックを含む4-0で快勝、持ち直したかに見えたが、開催国の韓国に0-1と敗れてGS敗退となった。この大会を最後に黄金世代の多くが代表を退いている。
2004年のEUROは母国開催。フィーゴ、ルイ・コスタ、フェルナンド・コウトら代表にとどまった黄金世代にとって、最後のメジャータイトル獲得のチャンスだった。
しかし、ルイ・コスタはブラジルから帰化したデコにポジションを奪われ、フェルナンド・コウトも台頭したリカルド・カルバーリョに譲ることとなった。ただ、ルイ・コスタは交代出場で重要な得点を決めるなど要所で活躍してチームを盛り上げ、スタメンとして1人残っていたフィーゴは大車輪の働きで決勝進出を果たしている。
ロナウドと両翼を担ったフィーゴは圧巻だった。80mも縦にドリブルしてなおまったくスピードが落ちず、そのまま決定的なクロスボールを繰り出していた。この大会でメジャーデビューしたロナウドも活躍していたが、フィーゴに比べるとまだ“子供”にしか見えなかったものだ。黄金世代の生き残り、フィーゴとルイ・コスタの気合いの入ったプレーぶりは鬼気迫るものがあった。
この時はもう、黄金時代が中心となったプレースタイルではない。フィーゴとロナウドがグイグイと運んでいく強引な攻撃がメインになっている。優勝はできなかったが初の準優勝。2年後のドイツW杯でもベスト4に入った。ポルトガルは少し現実的になり、その分結果もついてきた。だが、黄金世代の自由で技巧の粋を尽くしたプレースタイルには、これこそポルトガルと言いたくなる魅力があった。
ポルトガルの国民歌謡「ファド」は「運命」を意味するそうだ。イタリアにカンツォーネ、ブラジルにサンバがあるように、ポルトガルにはファドがある。ファドは郷愁の音楽とも言われる。日本の演歌に似ていて悲しい恋を歌った曲も多い。ポルトガルのサッカーを振り返る時、おそらく多くの人が思い出すのは、ある意味期待外れの、何のタイトルも獲れなかった、不運な黄金世代なのではないか。叶えられなかった分美しい記憶だけが蘇る、そんなチームだったように思う。
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華々しいパスサッカーで観衆を魅了したポルトガルの「ゴールデンエイジ」から、切れ味鋭いドリブルを武器に個で違いを生み出すルイス・フィーゴ、冷静沈着なパスさばきでゲームをオーガナイズするパウロ・ソウザが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!
「サカつく」未経験の方もこの機会にぜひ、ゲームにトライしてみてほしい。
<商品情報>
商品名 :プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド
ジャンル:スポーツ育成シミュレーションゲーム
配信機種:iOS / Android
価 格 :基本無料(一部アイテム課金あり)
メーカー:セガゲームス
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Photos: Getty Images, Bongarts/Getty Images
Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。