メッシが史上最多6度目の受賞。「黄金のボール」をたどる旅
バロンドールコラム
スタートから60年以上を重ね、サッカー界で最も由緒ある個人賞となっているバロンドール。2019年はリオネル・メッシが史上最多6度目の受賞を果たし、新たな偉業が刻まれた。そこで今回はメッシを中心に、時代とともに変遷してきた「世界最高選手」のヒストリーを、西部謙司さんに紐解いてもらった。
バロンドールの“歴史”
リオネル・メッシが2019年のバロンドールを受賞した。実に6回目、もちろん史上最多である。
『フランスフットボール』誌が主催する「黄金のボール」賞は1956年にスタート。第1回の受賞者はイングランドのスタレンレー・マシューズだ。受賞時の年齢は41歳。50歳までプレーした不老ぶりで知られた名人だが、41歳はさすがにピークを超えている。そもそもバロンドールが創設されたのはマシューズの功績を称えるためだったとも言われていて、名誉賞みたいなものだったわけだ。実力で選ぶなら、この年の受賞者は3ポイント差の2位だったアルフレッド・ディ・ステファノだったはずだ。
この栄誉ある賞は、その後もいろいろと物議を醸している。
1960年はスペイン人のルイス・スアレスが受賞しているが、本当の受賞者はフェレンツ・プスカシュだったのではないかと言われている。プスカシュは、当時共産主義だったハンガリーの出身だったために票が集まらなかったからだ。1964年にはそのスアレスがインテルでタイトルを獲りまくったにもかかわらずマンチェスター・ユナイテッドのデニス・ローが受賞し、スアレスは「これ以上、何をすればいいんだ」と嘆いた。
1974年にチャンピオンズカップ(現CL)とワールドカップに優勝したフランツ・ベッケンバウアーも、ヨハン・クライフに持っていかれてスアレスと同じ言葉を口にした。そうかと思えば、1982年のパオロ・ロッシや1986年のイーゴリ・ベラノフのように、ほとんどワールドカップでの印象だけで受賞するケースもあった。
バロンドールは個人賞だが、サッカーがチームゲームである限り、どうしてもチームの成績に影響されるところはある。だが、常にそうでもない。投票の基準が曖昧なのだ。発足した当初はテレビもさほど普及しておらず、インターネットは無論ない。記者が実際に見た印象に左右されやすかった。さらにフランスの雑誌が主催なので、各国の投票者はフランス語の理解が必須とされ、ほとんどサッカーを取材したこともない記者が投票権を持っていたという。
GKの受賞者はレフ・ヤシン(1963年)だけで、DFもベッケンバウアー(1972、76年)、マティアス・ザマー(1996年)、ファビオ・カンナバーロ(2006年)の3人のみ。アタッカーが注目されるのは仕方ないとしても、専門家が選んでいるにしては人気投票のようでもある。2019年も本命視されていたフィルジル・ファン・ダイクが受賞を逃している。
メッシかペレか:基準の悪戯
メッシの受賞に文句があるわけではない。純粋に実力で選ぶなら、もうずっとメッシなのだ。実際、2009年の初受賞から4年連続で受賞、2年おいて15年、そして3年おいて今回。メッシでなければクリスティアーノ・ロナウドが獲っている。例外は2018年のルカ・モドリッチだけだ。
しかし、まさか6回もバロンドールを受賞する選手が現れるとは、かつては誰も考えなかったものだ。クライフ、ミシェル・プラティニ、マルコ・ファン・バステンの3度が最高だった。ところがロナウドが5度で、メッシがついに6度。ちょっと賞が軽くなっている気さえするが、それだけメッシとロナウドは長くピークを維持できているわけだ。
バロンドールは2010年に一度FIFA年間最優秀選手賞と統合したが、2016年に再び単独の主催に戻している。受賞者も当初は欧州人に限定されていたが、1995年からUEFAのクラブに所属していれば対象者となり、2007年に全世界の選手が受賞対象となった。そのため投票者も全世界に拡大された。
ところで、もしバロンドール創設時からそうだったら、果たしてメッシの6回は最多受賞だっただろうか。つまり、ペレが何回受賞していたかということだ。
1958年はレイモン・コパが受賞しているが、この年のワールドカップではブラジルが初優勝していて、17歳のペレは世界に衝撃を与えている。ジジかガリンシャだった可能性もあるが、たぶんペレが獲っていただろう。サントスがコパ・リベルタドーレスを連覇した1962、63年も堅い。ワールドカップ3回目の優勝だった1970年、南米最優秀選手賞を受賞した1973年も選ばれていただろう。これですでに5回。1960年代はあと3回ぐらい受賞する可能性はありそうなので、6回は超えていても不思議ではないと思われる。
メッシとマラドーナ――再現性と意外性
映画『MESSI』で、セサル・ルイス・メノッティは「ディエゴ・マラドーナとメッシのどちらが偉大か」という問いに、「マラドーナ」と答えていた。メノッティはマラドーナの監督でもあり、個人の意見に過ぎないと語っている。ついでに、ペレについては「その名前を出すな」と言っていて、メノッティにとってペレは「宇宙人」と同じだそうだ。
マラドーナとメッシをどちらも見ている筆者も、「どちらをより見たいか」といえばマラドーナになる。もちろん個人的な好みに過ぎない。どちらが偉大かはわからないし、比較に意味があるとも思えない。ただ、1人の観客としてどちらに興味をそそられるかならマラドーナなのだ。
アスリートとしては断然メッシが上である。身体能力ということではない。コカインを吸引し、太り過ぎたりしている時点でマラドーナは普通のアスリート以下であり、長くコンディションを維持できているメッシとは比べられない。得点やアシストという面でも、メッシの方が多い。
ただ、マラドーナは予想外のプレーをした。メッシも驚くべきプレーの数々を披露しているとはいえ、むしろ見慣れてしまってあまり驚かなくなっている。高性能マシンのようで、素晴らしいゴールシーンも以前に何度か見たような気がする。つまりは再現性があるのだ。凄いプレーを自ら凄くなくしている。得点して狂喜するメッシを見るのは稀だ。見る方に既視感があるぐらいだから、本人に驚きはなくて当たり前だ。マラドーナは本人も一生に一度あるかないかのゴールを何度か決めた。メッシの再現性はない代わりに意外性は高い。
背後から敵にぴったりマークされながら、ワンタッチでボールを浮かせてオーバーヘッドキックでパスを通すのはマラドーナの十八番だった。決して強力なチームではなかったアルゼンチン代表やナポリを牽引して、チャンピオンに引っ張り上げる超人的な仕事も成し遂げている。豪華絢爛、波乱万丈のマラドーナに対して、メッシは虚飾を削ぎ落とした研ぎ澄まされたプレーをする。強力なバルセロナで淡々と得点を積み重ねる。性格の違いがプレースタイルとサッカー人生に表れているようだ。
メッシの進化と変化
ともにアルゼンチンが生んだ左利きの超絶技巧とスピードのアタッカーだが、マラドーナが10代の頃からマラドーナだったのに比べると、メッシが最初から現在のメッシだったわけではない。いや、最初から天才ではあったが、技術面で進歩があるのだ。
10代のメッシは今ほどキックが巧くなかった。もちろん下手だったわけではないが、FKを現在のように決めまくる選手ではなかった。キックの精度や種類はかなり進化している。アルゼンチンの記者の中には、「マラドーナが最高だったのは1979年に日本で開催されたワールドユースの時」と言う人もいるぐらいで、10代の時から技術面の変化はほぼなかった。
現在、2019年もメッシは少しずつ変化しているように見える。依然としてゴールゲッターではあるけれども、パサーにシフトしている。ドリブルの使いどころを自ら制限している。少し前までは、無理矢理にでもこじ開けにいっていた。それで成功もしていたのだが、現在はそれまでだったらドリブルしていたところをパスに変えている。こうした変化はメッシに特有のものではない。
ペレがそうだったし、クライフによればファン・バステンもそうなるはずだった(負傷により引退してしまった)。30歳を超えれば20歳台のように動けなくなくなる。それは劣化ではない。ドリブルで何人も抜いてシュートを決めるのは凄いけれども、味方を巧く使って得点に結びつけるのも同じぐらい素晴らしいのだ。ディ・ステファノ、クライフ、マラドーナ……先人たちが通った道である。
メッシは爆発力を残しながら、少しずつプレースタイルをシフトしている。相手のDFとMFの間のスペースでパスを受ける従来のスタイルだけでなく、MFとFWの間まで下りてくる回数が増えていくのではないか。プレーエリアが広がるぶん、ゴールまでに距離が長くなって手数もかかるが、そこに新しいメッシを見ることができるだろう。これまでも進化してきた天才だから、あのマシューズを超える42歳まで第一線でプレーしても不思議ではない。あとは本人のやる気次第だ。そうなると、あと何回バロンドールを獲るのだろうか。
◯ ◯ ◯
史上最多6度目のバロンドールを受賞。年とともにキックの精度に磨きをかけ、32歳にして進化と変化を続けるリオネル・メッシが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!
「サカつく」未経験の方もこの機会にぜひ、ゲームにトライしてみてほしい。
<商品情報>
商品名 :プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド
ジャンル:スポーツ育成シミュレーションゲーム
配信機種:iOS / Android
価 格 :基本無料(一部アイテム課金あり)
メーカー:セガゲームス
ゲームに関するさらに詳しい情報を知りたい方は公式HPへアクセス!
http://sakatsuku-rtw.sega.com/
©SEGA All Rights Reserved By JFA
©2018 adidas Japan K.K. adidas, the 3-Bars logo and the 3-Stripes mark are trademarks of the adidas Group
The use of images and names of the football players in this game is under license from FIFPro Commercial Enterprises BV. FIFPro is a registered trademark of FIFPro Commercial Enterprises BV.
Photos: Getty Images Entertainment, Getty Images, Bongarts/Getty Images
TAG
Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。