「イタリア社会の問題でもある」インテル育成責任者が語る課題
“ 育成レベルでの監督のクオリティは非常に高い。その可能性を信じて投資してほしい ”
INTERVIEW with
Roberto SAMADEN
ロベルト・サマデン
バッジョ、デル・ピエーロ、トッティ、ブッフォン、ピルロ――ワールドクラスのイタリア人スター選手たちがセリエAの舞台でしのぎを削っていた時代は今や昔。カルチョの根幹をなしていた、個性豊かな才能はどこへ消えてしまったのか――? 先日のU-20W杯で同国史上最高位となる3位、現在開催中のU-21欧州選手権でもドイツから勝ち点3を奪い準決勝進出を果たすなど徐々に結果を出し始めたイタリアの育成事情。その課題と対策について、名門インテルで10年間にわたり育成部門の責任者を務めてきたロベルト・サマデンに、「社会」「構造」「育成メソッド」という3つの側面にフォーカスして話を聞いた。
子供たちの運動能力の低下
学校教育や社会教育のレベルでの取り組みが遅れている
──イタリアからなぜワールドクラスが生まれなくなったのか、イタリアサッカー全体を育成という観点から見た時の現状はどうなのか、というのが今日お聞きしたいテーマです。まずは大きなバックグラウンドとしての社会的側面から始めましょう。
「大前提として言っておくべきなのは、今のイタリアと同じように、他の大国、例えばドイツもトップレベルの選手を輩出できずピッチ上で結果を出せない時期があったということ。どの国も長い目で見れば、多かれ少なかれそういう興隆と衰退のサイクルを経験するものだ。ドイツサッカー連盟は2000年代初頭から大規模な育成プロジェクトを立ち上げ、全国各地に連盟直轄の育成センターを作ってタレントの発掘と強化の体制を底上げし、10年かけて世界の頂点に復帰した。イタリアにもドイツと同じようにサッカーの歴史と伝統があり、非常に優秀な監督たちという財産がある。アンチェロッティやコンテを見てもわかるように、イタリアの監督は国内だけでなくヨーロッパでもトップクラスの実績を誇っている。つまり今の状況を改善するためのリソースは持っているということだ。
社会環境ということで言えば、イタリアも他のヨーロッパ諸国と同じように、この20~30年で子供が日常的に身体活動を行う機会は明らかに減少している。私たちが子供の頃には、学校から帰って来た後は日が暮れるまで毎日外でボールを蹴っていたものだが、今やそういう場所は減ってきているし、また子供をそういうふうに外で遊ばせておくことができない社会になってしまった。スポーツにとって最も重要なのは、幼少期にできるだけ多くの時間、身体活動をすることだ。これはサッカー界、スポーツ界だけでなく学校を含めた社会全体の問題でもある。身体活動が発達している社会はスポーツにおいてもより多くのタレントを生み出す。それを特定のスポーツのプレーヤーとしてどう育てていくかはまた次元が違う問題だが、ピラミッドの底辺としてのスポーツ環境、身体活動の量という点では、ヨーロッパの他の国々と同じようにイタリアも減少傾向にある」
──子供たちが日常生活の中でサッカーボールに触れている時間、ボールを蹴って遊んでいる時間は、この20~30年でどのくらい減っているのでしょうか?
「問題は、サッカーボールに触れている時間ということではなく、もっと一般的に身体活動そのものの時間が減っていることにある。基礎的な運動能力やコーディネーションのレベルで、イタリアの子供たちの平均レベルは明らかに下がっている。おそらく日本もそうだろうけれどね。特定のスポーツの技術を発達させるためには、まずベースとなる運動能力やコーディネーションが高いレベルになければならない。そのベースのところの話だ。今やストリートや公園で日常的に遊びとして身体活動を行うことが社会的に不可能になっているのだとしたら、他の形で子供たちがそういう活動を日常的に行える環境を提供する必要がある。それは学校だったりクラブだったり地域社会だったりするわけで、そうなるとサッカー界の問題というよりはスポーツ界、さらには国の問題ということになってくる」
──その一方で、ドイツ、ベルギー、フランス、スペインといった国々では、この20年の間にもワールドクラスのプレーヤーが生まれていますよね。しかしイタリアではピルロ、ブッフォンを最後に、80年代生まれ以降は国際的にトップレベルのプレーヤーがほとんどいない。それにはどう説明をつければいいのでしょう。
「メッシやロナウドのような世界的なスーパータレントがいつどこで生まれるかは、偶然によって決まるものだと思う。それはバッジョ、トッティ、デル・ピエーロといったイタリア産のタレントについても同じことだ。彼らのような真のタレントは、育成によって作り出すものではない。育成という観点から見た時に違いを作り出すのはむしろ、プレーヤーの平均レベルだ。イタリアサッカーの問題もそのプレーヤーの平均レベル、つまり多くの好選手を輩出できるかどうかにある。それを実現するためには長期的な視点に立ったプロジェクトが必要だ」
──ということは、この15~20年はプロジェクトが存在しなかった、あるいは少なくとも質の高いプレーヤーを安定的に輩出できるレベルでは機能していなかったということでしょうか?
「そういうことになる。サッカー連盟レベルでやっと本格的な取り組みがスタートしたのは、ここ数年のことだ。我われの友人であるマウリツィオ・ビシディがアリーゴ・サッキと始めた育成年代代表のプロジェクトや、去年からはイタリア各地に連盟直轄の育成センター設置も始まっている。初期投資の規模はドイツと比べればずっと少ないけれどね。プロクラブの育成への取り組みには個々のクラブによって差があるが、問題はそこではない。重要なのはむしろアマチュアレベル、グラスルーツレベルでどれだけベースを広げられるかにある。土台が広いほどピラミッドの頂点も高くなるというたとえは、ほとんどの場合正しい。頂点を高くすることを考えるならば、まず底辺を広げることを考えるべきだ」
──そこで、すべてのベースとなる子供の身体活動の量が減ってきているという社会的な問題に繋がってくるわけですね。その観点から見るとイタリアは他のヨーロッパ諸国から見て遅れているのでしょうか?
「学校教育や社会教育のレベルで身体活動を促進していくという取り組みでは、イタリアはまだ遅れていると思う。ドイツやベルギーでは国レベルでそうした取り組みが進められているが、イタリアでは進んでいないからね」
移民とのインテグレーション
今、各年代の代表でプレーしている移民二世は以前よりもずっと多くなった
──もう一つ、外国からの移民やその二世の社会的なインテグレーション(統合)がイタリアはまだあまり進んでいないという側面もあるように思います。例えばドイツ代表ではポーランド、トルコ、アフリカなど様々な民族的オリジンを持つ移民二世がプレーしていますが、イタリアではまだその比率は相対的に低い。
「確かに、社会的に見ても異文化の受容やインテグレーションが進んできたのは最近になってからだ。イタリア社会として、日常の中に異民族を受け入れるという意味でのインテグレーションはこれまであまり進んでいなかった。サッカー界に関して言えば、育成年代の代表レベルでこうした移民やその二世のタレント発掘に積極的に取り組んでいる。今各年代の代表でプレーしている移民二世は以前よりもずっと多くなった。その意味で取り組みはすでにスタートしていると言っていい」
──イタリアの場合、地域によってプロサッカー選手を輩出する数にかなりのばらつきがありますよね。例えばミラノのあるロンバルディア州だと北部のベルガモ周辺が凄く多かったり、州でいうとベネト州からロマーニャ州にかけて、そして南部のカンパーニア州が多くのプロ選手を輩出しています。
「イタリアはもともと一つの国家ではなく都市国家の集まりで、地域によって社会的・文化的な差違が非常に大きい。それがこの国の文化的な豊かさでもあるわけだけれどね。ただ、それはその地域にあるクラブの取り組みによる違いではなく、その地域におけるサッカーの社会的・文化的な位置づけ、あるいは経済的な豊かさといった条件によるものだと思う」
──ちょっと時期をさかのぼると、1995年のボスマン判決でEU域内の国際移籍が自由化されて契約満了選手のフリー移籍が可能になったことで、一般論として言うとプロクラブにとって育成に投資する動機が減ったという側面があったということはないでしょうか。実際、ミランはたしか98年にU-15から下の育成部門を廃止して、提携クラブとなったモンツァに委託したことがありました。その一方ではウディネーゼのように、自前の選手を育成するのではなく世界中から半分でき上がった20歳前後の選手を発掘してくることに、強化の軸足をはっきりと移したクラブもありました。それがイタリアからトッププレーヤーが出てこなくなった時期と一致しているのは偶然なんでしょうか?
「一般論としては、必ずしも偶然とは言えないね」
──もちろん、ユベントス、インテル、ローマといったビッグクラブは常に育成に投資を続けてきています。しかし地方都市のいわゆるプロビンチャーレの中で、育成にはっきりと軸足を置いているクラブは今やアタランタとエンポリくらいですよね。セリエBやレガ・プロ(3部)の現状は十分に把握していませんが、積極的に育成に投資しているクラブのことはあまり耳にしません。
「クラブごとの取り組みには確かに濃淡がある。しかしセリエBでは例えばチェゼーナやスペツィア、ノバーラ、プロ・ベルチェッリといったクラブが育成に力を入れ始めているし、レガ・プロにもパドバ、アルビノレッフェ、コモ、プラートなど、積極的に投資しているクラブは少なくない。とはいえ、セリエAからレガ・プロまで102のプロクラブを見渡すと、育成部門に力を入れていないクラブの方が多いことも確かだ。イタリアのプロクラブは、イングランドやフランス、ドイツのように育成に投資することを義務づけられていないという事情もある」
育成年代にも蔓延る結果至上主義
結果こそが神であるというカルチャーは、若手にとって大きな壁であり続けている
──大半のクラブの会長たちが育成部門に積極的に投資していないとしたら、そこには理由があるはずですよね。育成に投資してもそれに見合った見返りを得られないと考えているということでしょうか?
「それはあり得ない。育成はきちんと計画性を持って取り組めば必ず何らかの結果をもたらすものだ。そのためには計画性と忍耐力が必要だが。むしろ問題はその計画性と忍耐を持てない環境に置かれていることの方にある。クラブの会長や監督は、長い目で見て育成に投資するよりもまず、目先の結果を勝ち取らなければならないという状況にあることが少なくない。目先の結果を勝ち取ろうと思ったら、育成部門は役には立たない」
──ということは、目先の結果を優先して長期的な視点で投資をしないクラブの会長たちに原因の一端があると言ってもいいのでしょうか?
「いや、これは会長の問題ではなくイタリアサッカーというシステムそのものの問題だ。目先の結果を優先するのは、周りがそれを要求するからだ」
──サポーターやマスコミのプレッシャーということですね。
「そう。残念ながらね。他の国々では、生え抜きの若手がデビューすれば、もし試合に負けたとしてもサポーターは喜び、一つの勝利と受けて止めてくれる。イタリアではそうはいかない。とりわけ監督に対するプレッシャーは極めて厳しいものだ。3試合、4試合と勝てないだけで解任されてしまうことが当たり前になっているわけで、そんな状況に置かれて若手を起用することは不可能だ。30歳のエキスパートの方が20歳の若手よりもずっと信頼できるし計算できるのだから。しかしこれも監督を解任する会長が悪いという話ではない。問題の根源は、イタリアサッカーというシステムそのものが短期的な結果しか要求していないところにある。チームが同じようなパフォーマンスをしても、1-0で勝てば万事OK、0-1で負ければすべてダメという環境で、若手を信頼して起用し続けることは不可能だ。結果こそが神であるというイタリアサッカーのカルチャーは、若手にとって大きな壁であり続けている」
──トップチームだけじゃなく育成年代レベル、プリマベーラ(U-19)やベッレッティ(U-18)、時にはアッリエービ(U-17)ですら同じように目先の結果を要求するカルチャーがあるという話をよく耳にします。
「残念ながらこの国で監督やディレクターの仕事を評価する基準になっているのは常に結果だ。本来、育成年代において最も優先順位が高い目的はトップチームで通用する選手を育てることであり、結果は二次的な目標に過ぎない。しかし実際にはそうはなっていない。育成において結果で判断、評価されるというのは重大な問題だ」
──ここインテルではその問題に対してどのように対処しているのでしょう?
「幸運なことにインテルでは、モラッティ氏が会長になって以降20年以上にわたって、育成を重視して積極的な投資が続けられてきたし、コーチやスタッフに関しても継続性を重視する方針が徹底されている。育成でコーチの顔ぶれがころころ変わるのはいいことではない。その結果としてインテルのアカデミーは、セリエAとBを合わせて約50人のプロ選手を輩出してきたし、ピッチ上での結果もそれなりに残してきた。これは育てた選手のクオリティがもたらしたものであり、それを直接の目的としているわけではない。年代が上がれば上がるほど、質の高い選手を数多く擁しているチームが結果も残すようになるのは自然なことだ。結果的に、プリマベーラやベッレッティのファイナルでは、インテル、アタランタ、ローマ、トリノといった育成に力を入れているクラブがコンスタントに主役を演じることになっている」
有望株が消えていく構造的欠陥
プロとして完成された選手になるまでのステップを踏む機会が持てない
──ではインテルアカデミーとして設定している目標、そしてそこに到達するための基本的な原則はどんなものですか?
「目標はトップチームに供給できる選手を育てることだ。これは簡単なことではない。したがって現実的には、プロとして通用するプレーヤーを育てるというのが目標になる。もしサッカー連盟がBチームの下部リーグ登録を認めてくれれば、もっと多くの選手をプロの世界に送り出すことができるが、残念ながらイタリアでは不可能だ」
──Bチームが必要なのは、プリマベーラとトップチームの間にある溝が大き過ぎるという理由からでしょうか?
「そうだ。インテルに限らず、プリマベーラを終えた後プロになってからの数年で多くの選手が消えていく。これはコンスタントにプレーしながら、プロとして完成された選手になるというステップを踏む機会が持てないからだ。トップチームに昇格させるにはまだ十分に成熟していない有望選手――プリマベーラを終えた有望選手のほぼすべてがこのカテゴリーに入るわけだが――は、下部リーグにレンタルに出す以外にないが、そこで出場機会を得るのも簡単なことではない。セリエBやレガ・プロでもチームに要求されているのは目先の結果であり、若手を積極的に起用することは困難だからだ。出場機会が得られず試合経験を積めなければさらなる成長は望めない。その結果、成長過程の最後のステップを踏み外す形で消えていく有望選手はとても多い。23、24歳になってやっと下部リーグでチャンスをつかみ、そこからセリエAまではい上がってきて代表クラスの選手になるというケースは山ほどある」
──今の代表でもボヌッチやパローロ、ジャッケリーニはその典型ですよね。ボヌッチはインテル出身じゃないですか。これだけ必要性が訴えられているBチームのプロジェクトがどうして実現しないのか、僕にはうまく理解できません。
「Bチームを下部リーグに登録することが唯一の解決方法というわけではない。しかしヨーロッパのどの国でも、育成年代とトップチームの間を繋いで成長の機会を提供する何らかのシステムは存在している。例えばイングランドではU-21のリザーブリーグがあったり、国ごとのカルチャーによって形は違っているけれどね。いずれにしても、育成年代とトップチームを隔てる大きな溝に何らかの橋をかける必要があることは絶対に確かだと思う」
──今はあまりにも多くの有望選手がその溝にはまってしまっているということですね。
「そうだ。私がいつも例に取るのはユベントスのマルキージオ、現時点におけるイタリア最高のMFだ。しかし、もしあの年ユーベがセリエBに降格していなかったら、彼はトップチームに昇格してレギュラーとしてコンスタントな出場機会を得ることはなかっただろう。下部リーグにレンタルに出されていくつかのクラブを渡り歩く間に消えてしまった可能性も小さくない。ミランにしても、売却話が長引いて補強予算が取れなかったという偶然があったからこそ、ロカテッリのような若手をピッチに送る結果になった」
──インテルでは、この溝を埋めるために何をしていますか?
「レガ・プロのプラートというクラブとパートナーシップを結ぶというプロジェクトを2年前から始めて、それなりの成果はあったが問題を解決するところまではいっていない。自分たちで主導権を握らない限り、納得のいく形で物事を進めることはできないし、実際何人かの選手をレンタルで送り込んだけれど、彼らがコンスタントにプレーできるとは限らなかった」
──プラートはプラートで目先の結果が欲しいわけでしょうからね。
「そういうことだ。そこで当面の状況を改善するために考えたのが、プリマベーラのレベルですでにトップチームと変わらない環境を作ることだ。まず監督に育成のエキスパートではなく、下部リーグのトップチームで実績を積んだステファノ・ベッキを起用し、トレーニングのスケジュールも水曜日は2部練習にするなどトップチームと変わらないものにした。もちろん内容や負荷は選手たちの年齢に合わせたものにしているが、プリマベーラを終える段階で、すでにプロの世界で戦う準備ができていることを目標にしている。インテルアカデミーでは、プリマベーラは育成部門の一部としてではなく、実質的なBチームとして位置づけ、それに見合った取り組みを進めている。実際ここ2シーズン、プリマベーラから巣立っていった選手たちは、それ以前と比べるとずっと成熟している」
──プロとしての成熟を早める、一種の促成栽培だと考えればいいでしょうか?
「うちの選手たちはイタリアでは早熟かもしれないけれど、外国の同年代と比べたらむしろ遅れているからね。実際には、ここでプリマベーラを終えた少なくない若手がすぐにセリエBで出場機会を手に入れているが、もしBチームをセリエBかレガ・プロに登録できるのならそちらの方がずっといいことは間違いない」
──今シーズン、アタランタでブレイクしたケシエやカルダーラも、セリエBへのレンタルを経ていますよね。
「彼らだってセリエBでコンスタントに出場機会を得ていたわけではない。(A代表入りした)ガリアルディーニは昨季ビチェンツァでレギュラーを取れず1月にアタランタに戻されたくらいだ。今シーズンにしても、解任寸前に追い込まれたガスペリーニが開き直って若手の抜擢に踏み切っていなければ、彼らはブレイクしていなかっただろう。アタランタがあそこで解任を踏み止まっていなければ、シナリオはまったく変わっていた。ガリアルディーニ、カルダーラ、コンティは、出場機会がないまま冬にまたレンタルに出されて、そのまま消えていったかもしれない。彼らのようにU-21代表クラスの優秀な若手で、しかもアタランタのように育成に力を入れているクラブですら、そういう小さな偶然に若手の運命が左右されているのがイタリアの現実だ。Bチームを持てないことがどれだけ大きな損失になっているか、この話だけでもわかると思う」
──もう一つ、セリエAでは多過ぎる外国人選手がイタリア人の若手から出場機会を奪っていると言われ続けています。外国人選手が増えているというのは、育成年代でも同じだという話も聞くのですが。
「一口に外国人選手といっても、最初に話が出た移民二世、つまりイタリアで育った外国籍の選手もいれば、10代後半になって外国から引き抜かれてきた選手もいる。後者に関しては、16歳以上の選手の発掘・獲得はどこの国でもやっていることであり、イタリア固有の問題ではない。例えばアーセナルにはスペインやフランスのU-16、U-17代表経験者がたくさんいる。しかし、こうしたエリートレベルの選手は数的に限られている。インテルにしても、育成部門の登録280人のうちこうした形で獲得してきた外国人選手は15~16人、10%以下だ。インテルのようなクラブにとって、ベルギーやオランダやチェコに有望な人材を発掘しに行くのは、より質の高い人材をトップチームに供給する上では当然取り組むべきテーマだ。インテルだけでなくユベントスやフィオレンティーナも、国外でのスカウティングを行っている。フィオレンティーナはイタリアではトップレベルではなくその次のレベルのクラブだが、プリマベーラにはルーマニア、クロアチアなどの国籍を持つ外国人選手が5、6人いる。それは強化プロジェクトとしてはいい試みだと思う」
──移民二世が増えているのだとすれば、それはポジティブなことですよね。
「彼らは外国人ではなくイタリア人であり、彼らを外国人扱いすること自体が、イタリアの文化が抱えるネガティブな問題だ。例えばバロテッリは100%イタリア人であって外国人ではないのだから。外国人選手の多さがイタリア人選手を圧迫しているというのは、トップチームレベルでは確かに問題になっているが、育成年代ではそもそもそういう状況にはなっていない。イングランドやドイツ、フランスと比べるとイタリアの育成部門の外国人比率はむしろ低い
──ただ、オビ、ダンカン、マナイなど、最近インテルがセリエA、Bに送り出している選手には外国人が多いという印象があります。
「イタリア人もボヌッチからベナッシ、デストロ、そして今プリマベーラからトップチームに合流しているピナモンティまで決して少なくない。それにオビとマナイは、どちらも子供の頃に家族と一緒にイタリアにやって来て、それぞれパルマとクレモネーゼの育成部門で育ったイタリア産の選手だ。彼らをダンカン、あるいはミアンゲのように外国のクラブから獲得してきた選手と同列に扱うのは正しくない」
変化する育成メソッド
異なる戦術への適応、高いインテンシティ、強いパーソナリティ、的確なプレー選択…
──育成メソッドに話を移すと、ドイツやベルギーがサッカー連盟レベルで目指すべきサッカーのフィロソフィやプレーモデルを確立し、それをクラブレベルまで落とすというやり方で、代表レベルでも大きな成功を収めています。このやり方はイタリアでは通用しないというのは理解できるのですが、今の連盟とクラブとの関係は、育成レベルではどうなっているのでしょう?
「イタリアでドイツやオランダのようなトップダウン式のやり方を取ることは不可能だ。文化的にまったく異なっているから。さっきも触れたようにイタリアはもともと都市国家の集まりであり、地方によって、いや州によって文化もメンタリティも少なからず異なっている。イタリアサッカーの価値の一つは多様性だ。イタリアの監督がどうして世界のトップレベルにあるか。その秘密の一つは、置かれた状況、与えられたチームや選手に合わせて異なるタイプのプレーモデルを作り上げチームに浸透させることができることだ。その意味では具体的な戦術や振る舞いに直結しているプレーモデルではなく、より上位の基本理念であるプレーコンセプトにフォーカスするべきだと思う。ベルギーやオランダ、イングランドでは、すべてのチームが[4-3-3]なり[4-2-3-1]なり、一つのシステムとプレーモデルで戦うこともできるが、イタリアがそれをやったら、我われの最大の強みである多様性、柔軟性をスポイルしてしまうことになる。しかし、すでにいくつかのクラブが取り組んでいるように、一つの大きなプレーコンセプトを共有するという取り組みは必要だ。例えば、受動的に守備を固めてカウンターアタックを狙うのではなく、自らボールを支配し攻撃を組み立てる姿勢を持つ、というのはその一つであり得る。育成年代の代表レベルではビシディがその取り組みを進めているが、クラブレベルでも明確なアイデンティティを示すようなプレーコンセプトを確立し、それをトップチームから育成年代まですべてに落とし込んでいくということがあってもいい」
──個人レベルの話ですが、イタリアはカンナバーロ、ネスタの世代まで常に偉大なCBを輩出してきましたが、その後はぱったり止まっています。ボヌッチも守備に関してはワールドクラスとは言えない。その理由はどこにあるのでしょう?
「理由の一つは、とにかく守備を固めることを第一に考える、そして組織としてではなくまず個として1対1を重視するという伝統的なカルチャーから、ゾーンディフェンスの戦術に対応し組織の一員として機能できるDFを育てるという傾向、そしてさらに守るだけでなくビルドアップの起点としてパスを展開する能力も重視するという方向に、DFを育てるコンセプトが変わってきたことがある。急激な変化には付き物の話だが、一つの極から反対の極へと一杯に振れてしまう傾向がある。かつては1対1でしっかり守れるCBを育て、また選んでいたものが、一時期は逆に攻撃を組み立てられるCBを育て、また選ぶようになっていた。しかしそうして振れた振り子も結局は中央に戻ってくるものだ。実際最近はまた組織の中で機能できるだけでなく、1対1に強くしっかりマークができるという側面があらためて重視され始めている」
──インテルではどんなタイプのCBを育てようとしていますか?
「我われは何よりもまず個のクオリティを高めることに優先順位を置いていることは、さっき話した通りだ。その一環として、ポジション別の個人技術、個人戦術のトレーニングに力を入れている。ストライカーは毎日たくさんのシュートを打たなければならないし、DFはたくさんの1対1をこなさなければならない、といったことだ。そうしたポジションごとの技術習得にできるだけ多くの時間を割くようにしている。どんなタイプのCBというのは、個々のプレーヤーの資質にもよるので一概には言えない。持っているポテンシャルを最大限に引き出し、欠点をなくすこと以上に長所を伸ばすことを考えている」
──タレントの不在はファンタジスタについても言えます。バッジョ、デル・ピエーロ、トッティ、最後はカッサーノでしょうか。こちらも理由は同じですか?
「ファンタジスタに関しては理由は違うと思う。20年前と比べるとプレーのリズムがずっと速くなって、プレーヤーに求められるスピード、インテンシティがはるかに高くなってきたという側面は無視できない。テクニックとクリエイティビティがあってもフィジカル的に貧弱なプレーヤー、パワー、スピード、インテンシティに欠けるプレーヤーは敵陣の深いところでプレーするのが難しくなっている。例えばベラッティは、もともとトップ下として育ったけれど、結局MFとして開花した。ピルロも同じだ。それこそメッシのように両脚に強力なパワーを備えており初動だけで相手をぶっちぎれるようなプレーヤーでないと、前線でテクニックとファンタジアを武器にすることすら難しい時代になったと言えるのかもしれない」
──そうしたモダンサッカーに対応するチーム戦術としては、すでにイタリアでもカルチョ・プロポジティーボ(提案型サッカー)に向かうトレンドがはっきりと出始めていますよね。
「もちろんだ。簡単ではないけれどね。もう一つ重要なのはプレーのクオリティだけでなくインテンシティを高めることだ。外国のチームと戦う時、代表でもクラブでもイタリアのチームが最も苦しめられるのはインテンシティの高さだ。テクニックの優劣以前にインテンシティでついていけないという状況がしばしば起こる」
──ここで言うインテンシティはフィジカルの話ではなくプレーの判断と遂行のスピードということですよね。
「もちろん。すべてのプレーヤーが攻撃と守備の両局面にアクティブに関わり、目の前の状況に応じて最適のソリューションを最短時間で見出して遂行し続けるという意味でのインテンシティだ」
──インテルアカデミーのプレーコンセプトとプレーモデルはどのようなものですか?
「まず個々のプレーヤーを個々のプレーヤーとして育てることを考える。チームとして、という視点は二の次だ。すぐにトップチームで通用するためには、複数のプレーモデル、システムや戦術に適応できる能力も非常に重要だ。オランダやベルギーでは、一つのシステムの中で効果的に機能できればそれで通用するが、イタリアではそうはいかない。我われのDFが4バックでプレーすることに慣れていたとしても、もし監督が3バックのシステムを採用した時には、それに必要な動きやプレー原則をすぐに理解して対応できなければならない。異なる戦術やシステム、プレーコンセプトへの適応力、常に高いインテンシティでトレーニングに取り組む姿勢、強いパーソナリティを持ってプレーする力、そして何よりも的確なプレー選択ができる力――。我われが選手たちに身に付けさせたいのはこうした能力だ」
──プレーコンセプト、プレーモデル、プレー原則といった枠組みは、もともとはポルトガル発祥の戦術的ピリオダイゼーションから生まれたものですよね。今ではイタリアでも広く浸透していると考えていいのでしょうか?
「ああ。我われイタリア人はクリエイティブであるだけでなく、他からアイディアを頂戴してそれを学び発展させることに関しても人後に落ちないからね(笑)。これだけ情報網が発達して世界中の文献や動画がインターネットを通じて手に入る時代になると、いいもの、役に立つものはあっという間に広まっていくものだ。ディフェンスとカウンターアタックがお家芸だと言われてきたイタリアでも、今や育成レベルでも大半のチームはプロポジティーボ(提案型)なサッカーをしている。ただそこで残念ながら目先の結果を要求するというカルチャーに直面して、そうした流れがスローダウンさせられることもあるのだが……」
──とはいえ総合的に見ると正しい方向に向かい始めているということは言えそうですね。
「そう言っていいと思う。何よりもイタリアには豊かな人的資源がある。育成レベルでの監督のクオリティは非常に高い。その可能性を信じ、投資してくれるクラブオーナーがもっと増えなければならないとは思うけれどね」
──その点で現状をどう見ていますか?
「クラブによって取り組みに大きな差がある。そこがもっとそろってくると状況は加速するのだけれど……。少なくとも育成部門の施設環境に関しては、プロクラブにはある一定レベルをクリアすることを義務づけるべきだ。育成にはそれに適した施設が不可欠なのだから。その上で質の高い指導者、長期的でブレのないプロジェクトが求められる。そしてBチームは絶対に必要だ。これらすべては決して難しいことではない。ただそれを信じて投資し、忍耐を持って取り組みを進めていくことが簡単ではないだけだ」
Photos: Getty Images, Michio Katano
Profile
片野 道郎
1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。