東京ヴェルディ加入4年目で今や絶対的な守護神として君臨するマテウスだが、その道のりは平坦ではなかった。10代でのブラジルA代表選出、日本行きの決断、ヴェルディ3年目での危機、そしてそのタイミングでの恩師チッチ監督からのセレソン練習参加のオファー……。Jリーグ通算100試合出場を達成した物静かなブラジル人が、波乱万丈のキャリアを振り返る。
今季のJ2上位争いでカギになるであろう一戦が、5月13日に行われた。3位の東京ヴェルディがホームに首位のFC町田ゼルビアを迎えた「東京クラシック」は、0-1で町田に軍配が上がった。
前半アディショナルタイムの46分にエリキのゴールで町田に先制を許したヴェルディは、後半に退場者を出して失速。決して試合内容が悪くなかっただけに、首位との勝ち点差を詰める大きなチャンスを逃す形となってしまった。
「1試合を通してゲームをコントロールできた時間は多かったですし、相手に完全に崩されるシーンがなかったのは良かったと思います。けど、首位の選手層が厚いチームに対して、自分たちのいい時間帯にしっかりゴールを決め切らないと難しいゲームになってしまうので、そういった部分は反省点ですね」
町田戦の完封負けを冷静に振り返ったのは、ヴェルディのGKマテウスだ。今季で来日4年目のブラジル人守護神は、攻守に安定したプレーでチームを支えている。リーグ戦15試合で9失点という堅守を実現できている要因の1つに、マテウスのパフォーマンスがあるのは間違いない。
城福体制での失点減のキーマン
「(昨季途中に)監督が城福(浩)さんに代わってから失点数が減っているのは、ディフェンスをしっかり強化してくれたからだと思います。監督やコーチングスタッフには本当に感謝したいです。今年はディフェンスがうまくハマってきているので、その影響がこうして結果に出ているのはいいことだと思います」
堅守とポゼッションサッカーを両立したヴェルディは、現在首位と7ポイント差の3位につけている。昨季途中に就任した城福浩監督は、当時リーグワースト2位の失点を喫していた守備を短期間で立て直した。その上ポジショナルプレーの原則をチームに植えつけ、6連勝で締め括った昨季からのいい流れを継続することができている。攻守ともにアグレッシブに主導権を握るサッカーを作り上げることで、16年ぶりのJ1昇格を十分に狙えるチームになった。
副キャプテンを任された正守護神のマテウスも「しっかり準備ができており、4年目にして最も手応えを感じているシーズンになっています」と充実感を口にする。「グラウンド内だけでなく、グラウンド外でも充実した生活ができているからこそ、今のパフォーマンスを発揮できている」と語る通り、与えられた役割とピッチ上でのプレーがマッチして好循環が生まれている。
10代でブラジルのA代表に選出された逸材
ここでマテウスのキャリアを振り返ってみたい。ブラジル・サンパウロ出身のマテウス・カルデイラ・ヴィドット・デ・オリベイラは、11歳で名門コリンチャンスの下部組織に入団。順調にカテゴリを上げていく。
ブラジルの世代別代表にも選ばれ、2013年にはU-20代表の一員として南米ユース選手権にも出場。さらに同年、19歳でルイス・フェリペ・スコラーリ監督率いるA代表に初招集された。
国内組のみの構成かつ、3年後のリオデジャネイロ五輪に向けて若手に経験を積ませるための招集だったとはいえ、トップチームデビューすら果たしていないGKにA代表から声がかかることは異例だ。当然、マテウスはブラジル国内で将来を嘱望される有望株の1人として高く評価されていた。
しかし、2018年に24歳で退団するまでコリンチャンスでの公式戦出場はわずかに4試合。トップチームでは名手カッシオの牙城を崩すことができず、2部のフィゲイレンセへ新天地を求めた。
「コリンチャンスには4、5年一緒にプレーしている選手が多かったので、GKグループの友情関係がすごく強固でした。もちろん試合に出られないことに悔しい気持ちもありますけど、その反面、出場している選手に対する憧れやリスペクトがあった。家族ぐるみで、ピッチに立っている選手をみんなが応援できる関係性ができ上がっていました。自分が試合に出始めるまでための準備期間としては、いろいろなことを学ばせてもらったコリンチャンス時代だったと思います」
当時から海外でのプレーに関心があった。実現には至らなかったものの、2018年には二重国籍でパスポートを持っているイタリアのバーリへ移籍する可能性もあったという。そして、もちろんJリーグにも興味を抱いていた。
日本行きの決断。「常にいい話を聞いていた」
「ブラジルでは日本の試合が見られないので、Jリーグを追うことはなかなかできなかったですけど、コリンチャンス時代のチームメイトに日本でプレーしたことのある選手が多く、彼らから常にいい話を聞いていたので、ずっと興味を持っていました」……
Profile
舩木 渉
1994年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学スポーツ科学部卒業。大学1年次から取材・執筆を開始し、現在はフリーランスとして活動する。世界20カ国以上での取材を経験し、単なるスポーツにとどまらないサッカーの力を世間に伝えるべく、Jリーグや日本代表を中心に海外のマイナーリーグまで幅広くカバーする。