水戸ホーリーホックを2020年シーズンから率いていた秋葉忠宏監督の退任が発表された。話題となった『This is Football!』という“決め台詞”を筆頭に、明るいキャラクターが認知されている一方、若い選手を圧倒的な熱量で育てあげていく手腕は、まさにこのクラブの哲学と過不足なくマッチしていたことも語り落とせない。それでは秋葉とともに歩んだ3年間は、ホーリーホックにとってどういう時間だったのか。おなじみの佐藤拓也に振り返ってもらおう。
巣立っていく才能。背負ったクラブの宿命
水戸ホーリーホックというクラブが背負う宿命と戦った3年間でもあった。
J2下位レベルの人件費で運営するクラブの財政事情(21年度はJ2で17位)により、毎シーズンのように成長して活躍を見せるようになった選手を引き留めることができず、主力が大幅に入れ替わった中で再スタートを切るという戦いを繰り返してきた。
「FWでは中山仁斗(仙台)、奥田晃也(長崎)、藤尾翔太(徳島)、攻撃的MFは伊藤涼太郎(新潟)、山口一真(町田)、山田康太(山形)、松崎快(浦和)、ボランチは平野祐一(浦和)、平塚悠知(福岡)、安東輝(松本)。サイドバックは前嶋洋太(福岡)、外山凌(松本)、柳澤亘(G大阪)。センターバックは住吉ジェラニレショーン(広島)とンドカ・ボニフェイス(東京V)。GKは牲川歩見(浦和)……」
これまで他チームへと移籍した選手の名前を挙げた後、感慨深い表情を見せながらこう口にした。
「3年間在籍した主力選手が多く残ってくれていたら、J1昇格できたと思いますし、絶対に6位以内には入れていたと思いますよ」
ただでさえ資金力が乏しく、「大型補強」ができないチームだけに、毎シーズンこれだけ選手が引き抜かれたら、下位に低迷してもおかしくない。実際、上位に食い込んだシーズンを送ったチームが翌シーズンに主力選手を引き抜かれて、下位に低迷や降格するケースは珍しくない。しかし、秋葉体制において1年目は9位、2年目は10位、3年目は13位と残留争いに巻き込まれることなく、むしろ、上位争いに食い込む可能性を見せる戦いを繰り広げてきた。
そして、その中で若い選手たちの能力を最大限に引き出し、主力へと育てあげていった。
メンバーを固定せずに追い求めた“育成”と“結果”
「“育成”と“結果”の両方を取ることを意識してきました」
この言葉に秋葉監督の3年間は詰まっている。
そのために重要視したのが、メンバーを固定しないこと。毎週、練習で競争を促すことによって、チーム内に常に緊張感をもたらして若い選手たちを鍛え上げていった。そして、調子のいい選手を起用することを徹底し続けた。試合に勝利しても、そのスタンスは変わらなかった。
20年は22人、21年と22年は24人ものフィールドプレーヤーがシーズン通して10試合以上に出場。多くの選手が経験を積みながら、成長を遂げていった。
その成果が如実に表れたのは21年の夏。それまで主力としてチームを支えていた柳澤亘、住吉ジェラニレショーン、平野佑一がJ1クラブに移籍してしまったものの、チーム力を落とすことはなかった。3人が移籍するまで9勝4分11敗という結果だったが、移籍して以降は7勝7分4敗と成績を上げてみせたのだ。
「誰かに頼るチーム作りをしない」という秋葉監督の信念が導き出した結果と言えるだろう。
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