誰よりもチームに寄り添う男から見た『天皇杯日本一への軌跡』。ヴァンフォーレ甲府・小野博信広報インタビュー
“超劇的”な展開で天皇杯の決勝戦を制し、日本一に輝いたヴァンフォーレ甲府。J2では苦しいシーズンを過ごしていたチームが、J1の強豪を次々になぎ倒して掴んだクラブ初のタイトルは、多くのサッカーファンの感動を呼んだ。この奇跡とも形容したくなる栄冠には、どのような流れとそれを取り巻く人々の想いがあったのか。2013年からヴァンフォーレにフロントスタッフとして在籍し、現在は広報を務める小野博信に、誰よりも近くで見た『日本一への軌跡』を語ってもらった。
「『この映像はクラブの財産として絶対に残さなくてはいけない』と思っていた」
――天皇杯の優勝、率直にいかがでしたか?
「オミさん(山本英臣)がPKの5番目でゴールに歩いて行った瞬間に、『あ、これが決まったら優勝じゃん』というところでいちばん実感したというか、それまでは不思議と決勝まで勝ち上がっていることさえも実感がそこまでなくて、結構冷静に見られていたんですけど、その瞬間から『ああ、本当に日本一を獲っちゃうんだ』って。それでPKが決まった瞬間に、自分の感情が爆発しましたね。『チームが凄いことをやったんだ』と気付かされました」
――そこまではあまり現実味がなかったんですね。
「今までヴァンフォーレの歴史上、ベスト8で何度も弾き返されていたんです。僕も甲府で働くようになって、ルヴァンカップと天皇杯でベスト8は経験した中で、5回目の経験で初めて勝ったんです。アウェイの福岡で勝って、その時はメチャメチャ嬉しかったんですけど、『まあ、そうは言っても次は鹿島かぁ……』というぐらいの感じで粛々と時間は経って行きました。でも、準決勝は鹿島に『え?本当に勝っちゃった!甲府凄いじゃん!』って」
――それが素直な感想でしょうね。
「はい。そこから決勝に向けて準備しなくてはいけない仕事がたくさんあって、当然取材を受けたり、選手の家族も含めたチケットの手配とか、そういうことをやりながら遅くまで仕事することが増えていったんです。どちらかと言うと、『決勝に向けての準備を完璧にしなくては』というところで時間が経っていって、試合当日も会場に朝イチで行って、『セレモニーの段取りはこういう感じですよ』と説明を受けて、『ああ、決勝ってこういう感じか』と。気付いたらもう選手は来ますし、キックオフの笛が鳴って、選手がプレーし始めて、『ああ、本当に決勝なんだ』と思っていたらサンペーくん(三平和司)が点を獲って、『え?先制してる!』って(笑)。でも、そこから延長に入って、PK戦に入って、オミさんが5人目のキッカーで歩いている時に『ヤバい。涙止まんない』って。『本当に日本一を獲るんだ』って。それが準決勝を突破してから優勝までの率直な感覚です」
――優勝が決まった瞬間に、小野さんが一番最初に考えたことってどういうことでした?
「僕はまず、『これを映像で残したい』と思ったんです。だから、もう携帯を片手にみんなの近くに行って、喜びが爆発している瞬間を何とか押さえなくてはと。僕も最初は泣きながらでしたけどね(笑)。そこはちゃんと仕事をしようと思いました。本当はルール上、撮ってはいけないはずなんですけど、『この映像はクラブの財産として絶対に残さなくてはいけない』と思っていたので、ホイッスルが鳴った瞬間にピッチに入ってしまって……。もう映像に収めることに必死でした。何かに使わなくても、クラブの歴史として絶対残しておくべきだと。何十年も先にこのクラブで働く人たちが、ヴァンフォーレ甲府にはこういう歴史があったということを知るための資料として、残さなくてはという想いでした」
集まるメディアからの注目。高まるチームの雰囲気
――小野さん、メチャメチャテレビ映ってましたからね(笑)。決勝に向かうまでのチームのことを聞かせてください。試合の1週間前ぐらいの雰囲気はいかがでしたか?
「まず準決勝に向かう週ぐらいから、チームの練習での緊張感が高まった気がしました。準決勝までの1週間と、決勝までの1週間は凄く雰囲気が似ていて、選手たちの充実感が伝わってきました。『ちょっといつもと違うな』って」
――具体的にはいつもとどう違ったんですか?
「シンプルに達磨さん(吉田達磨監督)の選手に要求する声が格段に増えましたね。達磨さんの今シーズンを見てきた自分からすると、それまではちょっと抑えている感じがあったんです。でも、達磨さんも本気で天皇杯を獲りに行っていて、自分の持っているものを選手にすべて伝えて、選手も高い集中力でプレーしていましたし、『オレたちやったりますよ!』って感じで、そこはいつものリーグ戦以上に感じましたね」
――試合の2、3日ぐらい前の雰囲気はいかがでしたか?
「やっぱり僕らがJ2で決勝に行くということで、ありがたいことにメディアの皆さんの注目度も上がって、各社各紙の取材依頼が多かったので、決勝の週のオフ明けの日に、練習終わりで対面とオンラインの記者会見をやったんです。現地にもかなりの数のメディアの方に来ていただいて、それで選手たちも『おっ!こんなに注目されてるんだ』って思ったんじゃないかなって。メディアの皆さんのおかげもあって、緊張感が出たと思いますね。ただ、僕たちは1年中良い雰囲気の練習をしていたので、これは嘘でも何でもなくて、7連敗していても雰囲気は悪くなかったですけど、そこにプラスで充実感がみなぎっていました。選手たちも『オレらいい感じだな。J1も倒せるんじゃない?』っていう感じを、僕は練習から受けていました」
――広報という立場で決勝へ向けて考えていたことはありましたか?
「あれだけ露出してもらえましたからね。会見も実際は対面だけでという話もあったんですけど、その日がたまたま水曜日で横浜F・マリノスの優勝が懸かった試合があったんですよ。それがあって『今回は行けません……』というメディアの方たちもいらっしゃったので、ウチはまだ決勝までに時間がありましたし、鷹野(智裕)広報部長も『オンラインもやった方が親切だよね』という素晴らしい提案をしてくれて(笑)、オンライン会見も開いたことでいろいろな記事も書いて戴けました」
――それは素晴らしいですね。
「でも、僕自身は選手に対してもいつもと変わらない接し方を心掛けていました。『準決勝だぞ!』『次は決勝だぞ!』『絶対勝つぞ!』みたいに焚きつけることはしないようにしましたね。選手たちをあまり緊張させないように『スゲーなあ』ばっかり言っていた気がします(笑)。『みんな、スゲーなあ』って」
――普段の環境を保つということですよね。
「はい。そこだけは自分の中でちょっと気を付けていたかなと。特別なんですけど、特別だと思わせないようにというか、彼らには彼らで大事にしている雰囲気があるので、そこは考えていました。メディア対応はやってもらいましたけど、波ができないようにとは心掛けていました」
――小野さんご自身が決勝までの1週間で特別にやったことって何かありましたか?
「1つ思ったのは『願掛けは絶対やらないようにしよう』って。もちろん勝ちたいですけど、こういう時だけ神様にお願いしてもなあと。チームがなかなか勝てない時に『お墓参りとかやった方がいいんですかね』とメディアの人と話していたら、記者の方が『国見の小嶺先生は「オマエらは勝ちたい時だけ神様にお願いしに行くのか。むしろ負けた時に行くんだ」って言ってたぞ』って。それが自分の中に凄く刺さったので、『オレも平然としていよう』と。ただ、実際に決勝まではとにかく仕事が多くて、どう準備するかで精一杯になっていたというか、その忙しさが余計なことを考える暇を与えてくれなかったかなとも感じますね。でも、家に帰ってベッドに入ったら『いやいや、天皇杯の決勝だぞ』って思ってしまって(笑)、正直ドキドキはしていたんですよ。この先もサッカー界で生きていたとしても、もしかしたらもうこんな経験はないかもしれないなって。スパイクを履いて、ピッチに立つわけではないですけど、こういう立場であの舞台に立てることはとにかく光栄ですし、選手や監督に与えてもらったこの機会を大事に、そして感謝しようと思っていました」
頼もしさを感じたスタンドのヴァンフォーレサポーター
――決勝当日の小野さんはどういうスタートだったんですか?
「朝5時半に甲府を出て……」
――朝の5時半!(笑)
「はい(笑)。運営担当の植松(史敏)さんと前村(幸樹)さんとグッズ担当の鷹野(祐菜)さんは“コレオ”の作成とグッズ売店の準備があって、僕は8時45分から表彰式のミーティングがあったので、それに間に合うように会社から4人で車に乗り合わせて、5時半に甲府を出発して現地に入りました」
――そうすると選手たちと合流したのはチームがスタジアムに入ってきた時ですか?
「そうですね。チームはキックオフ2時間前に会場に入ってきたので、そこでその様子を動画で撮りながら、ハイタッチして迎え入れた感じです」
――その時の選手たちの雰囲気はいかがでしたか?
「それがもっとガチガチで来るかなと思っていたら、意外にいつも通りだったんです。『あれ?』って。なかなか経験したことのないような状況が揃った会場なのに、みんな普通に入ってきたので、『メンタル凄いなあ』って。ウチは若い選手が多いので、良い意味での鈍感力なんですかね。いつもと何ら変わらなくて、『おお、いい感じ!』と思って見つめていました」
――頼もしい選手たちですね。
「頼もしいですよ。それこそ(長谷川)元希とかマサ(関口正大)、須貝(英大)たちは大学時代に日本一を獲っているので、勝者のメンタリティを兼ね備えていたり、そういう舞台にも慣れているのかなとも思いました。実際に選手と振り返ったりはしていないので、緊張していたかもしれないですけど(笑)。マサや須貝など、甲府の若手選手は素直ですし、自分にベクトルを向け続けられるので、立派でしっかりしています」
――試合直前のミーティングの雰囲気はいかがでしたか?
「僕もロッカールームに入っていたんですけど、みんなメチャメチャ気合が入っていました。達磨さんも『この舞台、この雰囲気、全部楽しんで!やってこいよ!』って」
――メンタル的な部分の声掛けですね。
「今年の達磨さんはあまり戦術的なことを言わない日もありますし、普段のミーティングも最初に戦術的なことを『ポイントはこの3つだ』みたいにスパッと話して、『じゃあ行こう!』という感じなので、結構時間が短いんですよ。シンガポール時代の経験を踏まえて、あえて伝え方をシンプルにしているのだと思うんですけどね。だから、ウチはロッカーアウトが意外に早いんです(笑)。決勝の日も戦術的な話を少しして『ラスボス広島!思い切って倒しにいこうぜ!』というメンタル的な話をしていましたね」
――スタンドのヴァンフォーレサポーターもヤバかったですね。
「ヤバかったです。衝撃的でした。2階席までメチャメチャ人がいましたね」
――あれは選手もそうですけど、クラブスタッフの方々もメチャメチャ嬉しかったんじゃないかなって。
「メチャメチャ嬉しかったです。たとえばJ1の頃に味スタや埼スタ、日産でやると『今日はウチのサポーターが2000人も来てくれました』ということはありましたけど、それでも『たくさん来てくれたな。嬉しいな』と思っていたんです。でも、それを遥かに超えてきましたね。『アウェイの浦和レッズサポーターか?』って(笑)。それぐらい衝撃的でした。『こんなに来てくれるんだ』って。本当に感動しました」
――2万人ぐらいの方がいらっしゃったんですよね。とんでもない数字です。
「試合の2日前ぐらいにチケットの販売状況が知らされて、『甲府側のスタンドはこれぐらい出ていますよ』というデータが出ていたんですけど、その数字がとてつもなかったんです。『これはエラいことになるんじゃない?』と話してはいたんです。それで実際にお客さんが入ってきて、ピッチ内アップでスタンドを見た時に『これはヤバい』と。『こんなに来てくれたんだ』って。メチャメチャ頼もしかったですよ。『これで選手たちが奮い立たないわけがないな』って思いました」
「オミさんのハンドで取られたPKで負けてもしょうがないじゃん」
――試合は三平選手が先制ゴールを決めて、リードした状況で前半を終えました。ハーフタイムのロッカールームはどんな様子でしたか?
「印象に残っているのは、選手たちが興奮していたんです。選手間で話がずっと続いていて、みんな燃えたぎっていたというか。そこにいた達磨さんはちょっと様子を見ていました。もちろん勝っていますし、それぞれお互いに問題点を話し合っていて、ちょっとしたら達磨さんが『ちょっと落ち着け』と。『いいぞ。今オマエらがロッカーの中で話していることを、後半のピッチでお互いに良い要求として続けていこう。マジでタイトル獲るぞ!走り切れ!』とシンプルに送り出しました。選手間の熱気は凄かったですね」
――そして延長からとうとう山本選手が登場したにもかかわらず、信じられないハンドがあったわけじゃないですか。小野さんはあのシーンをどう見ていましたか?……
Profile
土屋 雅史
1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!