さて、W杯まであと2カ月弱となりました。日本代表もアメリカ代表、エクアドル代表とのメンバー発表前最後の親善試合を終え、いよいよW杯本番モードというところでしょうか。しかし、親善試合とはいえ、視聴率はイマイチ振るわず(10%強)、盛り上がりに多少欠けてるのかな、という印象もあります。
日本代表の人気が凋落気味なことは単に日本代表だけの問題ではなくて、社会・経済・文化面などからの多角的側面から見なければならないのでしょうが、それはまあ別でやるとして、とりあえずやっぱりですね、森保ジャパンにはキャッチフレーズがないのが良くないと思うんですよね。
過去の日本代表には、思わず口に出して言いたくなるようなワンフレーズが常にセットでありました。しかし、そんな言い切りワンフレーズが今の森保ジャパンではぱっと浮かびません。
今回は、歴代監督の代名詞を思い返してW杯に向けて気持ちを高めるとともに、森保ジャパンに適切なキャッチフレーズを考えていこうではありませんか。嫌だといってもやります。私の代表監督の最初の記憶がオフトなので、そこからです!
ハンス・オフト(1992-1994)「アイコンタクト、トライアングル、スリーライン」
まずはドーハの悲劇を経験したオフト監督です。こちらのキャッチフレーズですが、今となってはそんな目新しいものではないどころか、当たり前も当たり前で小学生でもやっています。他には「コンパクト」とかもありますね。ですが、当時はこれすらも新しい概念として話題になっていたのですよ。今思うとアイコンタクトなんて戦術以前の問題ですが、こうやってなんとなくやっていたものを言語化して規律にしたというのがオフト監督の功績でした。そこから考えると、日本サッカーは30年でずいぶん発展したなあと感慨深いですね。
ファルカン(1994)まったく記憶にない
あまりにも短い在任期間&別にキャッチーなことを言うわけでもないキャラという事情で、何も覚えていません! ただ、選手選考が非常に独特だったこともあり、この時期にだけ代表に選ばれてキャップを刻んだ日本代表選手たちが多数存在します。
加茂周(1994-1997)「ゾーンプレス」
ファルカンが光の速さで解任されたので、その後を受けたのがフリューゲルスの監督だった加茂周さんです。直前の天皇杯を制するなど手腕を発揮していた加茂さんですが、代名詞はゾーンプレスでした。フィールドをコンパクトにしてプレッシングをかけるという戦術で、これも今となっては当たり前の概念ですが、当時の日本では斬新でした。フリューゲルスでコーチにいたのがあのベルデニックなので、その影響が強かったとも言われています。ただ、日本代表ではなかなか機能せずにアジア予選途中で更迭となりました。その後は解説者として時々現れていましたが、選手の名前を覚えるのが苦手らしく、1998年W杯ではドラガン・ストイコビッチを「白組の10番」、アレッサンドロ・デル・ピエーロを「青組の10番」と呼んでいました。
岡田武史(第1期)(1997-1998)「外れるのはカズ、三浦カズ」
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tkq
世界ロングボール学会(WLBS)日本支部正会員。Jリーグの始まりとともに自我が芽生え、カントナキックとファウラーの薬物吸引パフォーマンスに魅了されて海外サッカーも見るように。たぶん前世でものすごく悪いことをしたので(魔女を10人くらい教会に引き渡したとか)、応援しているチームがJ2に約10年間幽閉されています。一晩パブで飲み明かした酔っ払いが明け方にレシートの裏に書いた詩のような文章を生み出そうと日々努力中です。【note】https://note.mu/tkq