かねてからオランダメディアの間で浦和レッズへの移籍が噂されているフェイエノールトのブライアン・リンセン。サッカー専門誌『フットボール・インターナショナル』が両クラブ間の合意を6月7日に報じたほか、同23日には公共放送『レインモンド』が取引完了を伝えており、今夏の加入は決定的と見られている。エールディビジで通算408試合124ゴール56アシストと、確かな実績を引っ提げて日本に到来するオランダ人FWは、今季J1で不振に喘ぐクラブの救世主となれるのか?キャリアやエピソード、プレースタイルの紹介も交えつつ、浦和の番記者であるジェイ氏に占ってもらった。
結実の年、勝負の年として「リーグ優勝」を目標に掲げながら、シーズンをまさかの13位で折り返した浦和。ただ、決して試合内容自体は悪くはない。昨季と比較してもピンチの数は少なく、チャンスもそれなりに作れている印象がある。課題となっているのがラスト20~30mの崩しのフェーズで、より決定的なチャンスを増やし、それを確実に決めることが求められている状態だ。
そんな中、キャスパー・ユンカー、アレクサンダー・ショルツ、ダヴィド・モーベルグ、アレックス・シャルクに続く外国籍選手「第5の男」として、ブライアン・リンセンの加入が噂されている。果たしてリンセンは浦和を救う漢となるのか。ここまでのキャリアと、どんな能力を持っているのかについて掘り下げてみたい。
「マスタード療法」で一躍有名人に
輝かしいキャリアをたどってきたわけではない。A代表はおろか、年代別代表に呼ばれた経験もない。しかし、人口わずか千数百人の小さな村に生まれた少年が夢に向かって進み続けた結果、国内トップクラブで活躍するまでに上り詰め、そして今回、はるばる日本へ渡るという縁を得た。
オランダのリンブルフ州、ネーリター村に住む小さな少年は、12歳の時にフォルトゥナ・シッタートのユースアカデミーに入学した。ここが夢の始まりだった。
「その時から私の望みはただ一つ、プロサッカー選手になることでした。そのためにすべてを捧げました」
08-09シーズンにトップチームデビューを果たすと、翌シーズンには2部マーストリヒトへと移籍。そして10-11シーズンにはVVVフェンロへと順調にステップアップ。フェンロでは吉田麻也、大津祐樹、カレン・ロバートらと同僚だった。
初のエールディビジ(1部)挑戦でもあり、幼少期から親しんだ地元クラブでもあるフェンロへの思い入れは強く「キャリアの最後はVVVで」といったコメントも残している。「ただその前に……」と付け加えていた言葉が、この夏で現実となりそうだ。
フェンロでも2シーズン目からレギュラーに定着し、エールディビジでは12シーズンで7度の2桁ゴールを挙げることに。コンスタントに活躍できる選手として、少しずつ、だが着実にステップアップしていく。フェンロで3シーズン、ヘラクレス・アルメロで2シーズンを過ごし、15-16シーズンはフローニンゲンが移籍金85万ユーロで獲得。17-18シーズンのフィテッセ移籍時は100万ユーロと、じわじわと市場価値を上げていった。
余談だが、フィテッセ時代のリンセンには、本田圭佑と約2カ月だけプレーしたこと以外にも興味深い(?)エピソードがある。
18-19シーズンが始まってから1カ月ほど、リンセンは開幕戦以来ゴールがなく、また足首の痛みに悩まされ、リーグのフェイエノールト戦とRKAVとのカップ戦を続けて欠場していた。その時、同僚のアレクサンダー・ビュットナーの父親から「昔ながらのフレンチマスタードを治療に使ってみてはどうか?」とアドバイスを受ける。
最初は冗談だと受け流していたリンセンだったが、どうにも痛みが引かず、藁にもすがる思いで足首にマスタードを塗ってみたところ、翌朝には嘘のように痛みが引いていたという。マスタードが起こした奇跡だった。現在は定かでないが、その時から当時の自宅にはマスタードが大量に常備されていたそうだ。
しばらくのち、そのことをインタビューで明かしたところ大きなニュースとなり、地元のマスタード製造業者から数百リットルのマスタードを贈呈される事態へと至る。このマスタードたちはクラブを通じて、地元のフードバンクへと寄付されることとなった。そしてリンセンは、この前後4試合で連続してゴールを決めている。
CFコンバートで苦戦も「Kuipvrees」を克服
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Profile
ジェイ
1980年生まれ、山口県出身。2019年10月よりアイキャンフライしてフリーランスという名の無職となるが、気が付けばサッカー新聞『エル・ゴラッソ』浦和担当に。footballistaには2018年6月より不定期寄稿。心のクラブはレノファ山口、リーズ・ユナイテッド、アイルランド代表。