23年もの時間を過ごした北の大地を離れ、今シーズンから横浜FCの指揮官に就任した四方田修平監督。そのサッカーに向き合う真摯な姿勢には定評があるが、この人のチャレンジ精神に衝き動かされたアグレッシブなキャリアは、意外と知られていないのではないか。確固たる信念と揺るがぬ愛情に貫かれた“ヨモさん”が語る、自身の辿ってきたサッカー人生。
後編は激動のフランスW杯アジア最終予選から、北海道で過ごしたかけがえのない日々を経て、横浜へと帰ってきた決断の経緯までを紐解く。
相手チームのホテルにも張り込んだアジア最終予選
――フランスW杯アジア最終予選の最中に四方田さんが担当されていた役割はどんなものだったんですか?
「相手チームの分析です。相手チームの試合を現地に見に行って、レポートをまとめて、映像を編集して、岡田(武史)さんや小野剛さんに上げていくという役割でした。もちろんスカウティング担当の中でも、コーチをされていた小野さんが統括してくれていたので、どういう視点で何を見るべきかは教育されましたし、いろいろな役割を指定された中で、自分たちは仕事をさせてもらいました。
あとはモチベーションビデオも作りました。フランスW杯は準備期間もそこそこ長かったので、大会に向けて選手個人個人の良いところを集めた映像を作ったり、対戦相手が決まったら一人ひとりの選手の癖を把握できるような個人のプレー集を作ったりしました。当時は今と違っていろいろなものが機械化されていなかったので、2台のビデオを繋いで編集したり、巻き戻しにウィーンって時間がかかるような感じでやっていましたから(笑)、意外と大変でしたね」
――対戦相手の映像を入手するのも大変な時代ですよね。……
Profile
土屋 雅史
1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!