現在ドイツ・ブンデスリーガで評価を急上昇させている成長株の1人が、オーストリア人CBのフィリップ・リーンハルトだ。昨季フライブルクで定位置をつかむと、今季はリーグ2位(第27節終了時点で29失点、1位はバイエルンの28失点)の堅守を軸に躍進するチームにとって欠かせない存在となった。
リーンハルトは、オーストリアのラピド・ウィーンからレアル・マドリーのU-19チームに移籍し、セカンドチームのレアル・マドリー・カスティージャを経てフライブルクにやってきた。3月23日の『シュポルトビルト』では、スペイン時代に指導を受けたジネディーヌ・ジダンやトップチームの選手たちについて振り返っている。当時UEFAチャンピオンズリーグで3連覇を達成したチームの背景の一端を覗き見ることができるだろう。
シュトライヒとジダンの共通項
ジダンが監督を努めたカスティージャ時代に当時19歳ながら12試合に出場したリーンハルトによると、現在のフライブルク監督のクリスティアン・シュトライヒとジダンには共通項があるという。テレビの画面を通して見る限り、ピッチ脇で感情を表すシュトライヒと冷静に戦況を追うジダンと大局的な2人だが、ピッチ外のアプローチで似ている部分があるようだ。
「2人とも、なんとしてでも勝ちたいという意志を持っていて、選手に最善のサポートを提供したいと思っている。ロッカールームでは各選手の話にしっかりと耳を傾け、とにかく一人ひとりに時間をかけて丁寧に話し合う。どうすれば選手がやる気になるのかよくわかっていて、そのさじ加減が絶妙なんだ」
選手の性格を見抜く観察眼の鋭さが両監督の特徴のようだ。「両監督ともに、どの選手に厳しく大声を出す必要があるのか、どの選手にはそっとしておくべきなのか、瞬時に察知できる」とし、日常的なコミュニケーションからピッチ上での接し方を理解するための情報を集めていることが見て取れる。
ビルドアップの速度にこだわったジダン
ピッチ上のトレーニングに話を移すと、リーンハルトはジダンとのちょっとしたエピソードを紹介した。スペイン3部のカスティージャのトレーニングで、直接FKを練習していた時だ。選手たちのキックがなかなかうまく決まらず、業を煮やしたジダンがボールを持ってやってきた。
「いいかい、見てごらん。こうやって蹴るんだ」と短く選手たちに話しかけると、ゴール隅に蹴り込んだという。呆気にとられたリーンハルトたち選手は、ジダンがどれほどの選手だったか改めて理解したと笑う。
ジダンの下では、とりわけボール保持時のビルドアップについてトレーニングすることが多かったと解説した。
「Rマドリーでは、セカンドチームでもボール保持の時間がとても多い。ジダンからのアドバイスは『ビルドアップの時は常に少ないボールタッチでボールを動かすスピードを加速させろ』というものだった」
「ボールを受けてパスを出すまでの時間をできるだけ短くすること。そのためには、ボールが来る前に周囲を見て、状況を把握しておくこと。そして、ボールが来た時にはその状況の中で最善の選択肢を持っておくこと」というジダンの教えは、リーンハルトの現在のプレースタイルの礎になっている。「この分野に関して、ジダンの下ではとても大きく成長できた」と感謝の意を示している。
ジダンだからこそ達成できたCL3連覇
Rマドリーの選手たちの中で最も多くのアドバイスをくれたのは、ポルトガル代表のペペだったという。
「ペペは、テレビの映像だけを見れば、とても荒いDFという印象を与えるかもしれない。でも、ロッカールームでは若手の僕らにとても優しくて、いつもサポートしてくれた」
「戦術練習の合間にはアドバイスをくれるんだ。守備の際の半身の取り方や、足の置き方とかね。両足を前に向けないようにし、前後どちらの方向にも素早く動けるような体勢を作る。そういったアドバイスはずっと胸の内に残り続けるし、そのプレーはいまだに体に染み付いている」
こうして見ると、CL3連覇という偉業はジダンとRマドリーという組み合わせだからこそ実現したことがわかる。偉大なフットボーラーたちが監督と選手という立場の違いを理解した上で、それぞれが互いにリスペクトを示し合ったことで達成できた結果だったのだ。選手たちの性格や特徴を正確に見抜き、ベテラン、若手、主力や控えといった選手たちにそれぞれの役割を適切に与えたことでロッカールームの雰囲気を調整し、ここ一番でチームとして力を発揮できるようにしたのだ。
人心掌握と言ってしまえば簡単だが、ジダンの場合は各選手との1対1の関係を尊重することで、それぞれの世界最高のスター選手たちに最大限の個人のポテンシャルとチームへのコミットメントを実現させた。それが当時のRマドリーでの成功につながったのだ。
Photos: Getty Images
Profile
鈴木 達朗
宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。