フランス社会におけるサクセスストーリーを実現したムバッペ
11月11日、キリアン・ムバッペの自伝マンガ『Je m’appelle Kylian(僕の名前はキリアン)』が発売になった。
これはムバッペがこの世に生を受けてから、憧れだったパリ・サンジェルマンに入団するまでを描いた「バンド・デシネ(BD)」と呼ばれるフランス流の漫画で、発売後わずか1週間で、予約分を含めて15万部を売り上げている。
「特別なところから来たわけじゃない」
「大人に向けた本にはしたくなかった。この本を出した目的は、子供たちに夢を持ってもらうことだったから。子供たちにとっては、絵があったほうが読みやすいからね」と、“マンガ”というスタイルで自伝を発表した理由を語ったムバッペ。
11月の代表ウィークでは、13日のカザフスタン戦で32分までに3得点、終盤にも1点を追加して、なんと計4点をマーク。8-0で快勝したフランスは、この勝利により来年のワールドカップ出場を決めた。そして、3日後のフィンランド戦でも1点を奪い、フランスの勝利(0-2)に貢献している。
レ・ブルーの大ヒーローとなった翌日、ムバッペはパリ郊外にある出身クラブのASボンディを訪問して、サッカーキッズたちに自伝マンガを手渡しした。
「彼らには、僕は特別なところから来たわけじゃない、ということを伝えたい。僕もこのグラウンドで始めたんだ。ここにある道具を使い、今いる彼らと同じようにここでプレーしていた。だから、遠い世界の話なんかじゃない。実際に僕はここにいて、そして今、成功している」
まだこの本を手にとって見てはいないが、一部紹介されていたページを見ると、キリアンがまだ本当に小さい頃から、父親に「僕は将来、世界最高の選手になる!」と語っている様子や、物心ついた頃から、とにかく「ボール」に執着していた姿が描かれている。
母親が、単語を覚えるための言葉遊びをしようと、地球儀とか、オレンジとか、丸いものの絵を見せると、キリアンは何でもかんでも「Ballon(ボール)!」と答えるのだ。ちなみに、最初に口にした言葉もこの「Ballon」だったらしい。
作画を担当したのは、『レキップ』紙の挿絵などでも知られるイラストレーターのFaro氏。
ムバッペとFaro氏は2年半かけてストーリーや構想を練ったといい、ムバッペの名前も、Faro氏と並んで著者としてクレジットされている。
フランス社会全体を背負う
フランスにおけるムバッペは、単にこの国のサッカー界を背負っている将来有望な選手ではない。「郊外出身者でも成功できる」という、フランス社会全体にとってのサクセスストーリーを実現した若者であることでも、彼は強いメッセージを発信している。
フランス語で「郊外」を意味する「バンリュー(banlieue)」という言葉には、「都市の周辺エリア」という文字通りの意味以外のニュアンスがある。大都市、とりわけパリでは、郊外に低所得者用の公共住宅が並び、このバンリューという言葉自体が、そうした特殊な居住区域、そしてそこの出身者を指している。パリの郊外には大会社の社長や芸能人らが住まうセレブなエリアもあるのだが、そういう地区は、地理的には「パリ郊外」であっても「バンリュー」とは呼ばれない。
そして人々が「バンリュー」という単語を使う時は、ネガティブな意味とリンクしていることが多い。「パリの街で悪さをするのはバンリューからきた若い子たち」「バンリューは治安が悪いから近づかない方がいい」と言った感じだ。一般的にイメージはよくないから、居住者以外は近づかない。
実際、フランスの空の玄関であるシャルル・ドゴール空港とパリ市内の間に位置しているエリアでは犯罪も多く、観光客を乗せたタクシーが渋滞で止まっている間に窓を割られてバッグを奪われるという事件は日常茶飯事で、何度通っても毎回緊張する。そしてムバッペが育ったボンディは、まさにこのパリと空港の中間地点だ。
「バンリューでは、女子は高校を出たら結婚」というのが王道なのだと、バンリュー出身の友人女性は前に言っていた。
「私はそのバンリュー出身者に用意されたステレオタイプの人生を自分の力で変えたくて、大学に行って資格を取った。そして今はパリで働いている。でもバンリュー時代の幼馴染は、そんな私のことを『もう仲間じゃない』となじり、かつての友達は誰もいなくなった。でも後悔はしていない。だって私の人生だもの」
しかしサッカーに関しては、このバンリューこそがスカウトたちが足繁く通う才能の宝庫になっている。
パトリック・ビエイラやティエリ・アンリ、ポール・ポグバら新旧フランス代表選手は、そろってパリ郊外の“バンリュー出身選手”だ。
バンリューは才能の宝庫
バンリューから才能が輩出されるのにはいくつか理由がある。
移民が多く、アフリカ系やアラブ系など、いろいろな血が混ざってフィジカル的に優れた子が多いこと。室内で高価なビデオゲームで遊ぶというライフスタイルではなく、「両親が仕事で留守の間はとにかく広場でボールを蹴って遊ぶ」という余暇を過ごしている子供が多いこと。子供たちが「サッカー選手になって高給を稼ぎ、家族に良い生活をさせたい!」という強いモチベーションを持っていること。そして、地元クラブにはそういう子供たちが集まってくるから、地区リーグのレベルが上がり、その中でもまれることでさらにうまくなっていくこと。
そしてムバッペは、まさにバンリューから成功をつかんだ「見本例」だ。彼自身は「ロールモデル」と言われることを「恐れ多い」と固辞するが、「彼らが僕を、希望の星だと思いたいのであれば、僕は彼らの希望の星になるし、毎日をほんのちょっと照らす光だと思ってくれるなら、僕はその光でありたいと思う。彼らにとって必要な存在になれたらそれでいい」と話す。
彼はバンリュー出身であることを誇りに思い、「今の自分があるのはボンディで育ったから」とたびたび口にしている。その彼の活躍や成功は、社会の中で虐げられることの多い人々にとっての夢でもあるのだ。
女子選手に見せた粋な計らい
そして、ムバッペはもう1つ粋な計らいを見せた。
日本でも話題になった、PSG女子チームの選手に起きた暴力事件(※11月4日、PSG女子チームの食事会の帰りに、アミナタ・ディアロが運転する車でケイラ・ハムラウイを家に送り届ける途中、暴漢に車を止められ、ハムラウイが棍棒で足を強打された)。
被害に遭ったハムラウイを乗せて運転していたチームメイトのディアロが、事件への関与を疑われて警察に勾留された。
事情聴取の後、ディアロは釈放となり、今はチームの練習に復帰しているが、精神的なダメージは大きく、専門家によるカウンセリングを受けている。
当然ながら公的な場所には姿を表していなかった彼女だが、11月17日にムバッペが催した『Je m’appelle Kylian』の出版記念パーティーに、アクラフ・ハキミやマルコ・ベラッティらとともに出席した。
そこでのムバッペとディアロとのツーショット写真がSNSに投稿されると、ムバッペの彼女へのサポートの気持ちが多くの人たちに伝わり、ディアロの弁護士も「心理的に非常に大きな効果があった」と感謝の思いを語っていた。
不甲斐ない結果に終わった今夏のEURO2020 の後、手痛い批判を浴びていたムバッペだが、PSGでもフランス代表でもエース級の活躍をすることで、彼は雑言を黙らせた。
12月20日に23才の誕生日を迎える彼は、1人のサッカー選手としてだけでなく、社会に影響を及ぼすオピニオンリーダーとしても、着実に成長を続けている。
Photo: Getty Images
Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。